追悼 佐藤さとる さん

 2017-02-19
「コロボックル」シリーズで知られる児童文学作家の 佐藤さとる さんが、9日に亡くなっていたのだそうです。
御年、88歳。
報道によると死因は心不全で、葬儀は近親者だけで行われたとのこと。

佐藤さとる さんの作品は小学校の頃から愛読させていただいて、日本の児童文学といえば誰の作品を選ぶか、と聞かれたら間違いなく一番最初に名前を上げるだろうと思うくらい、好きな作家の1人です。
数年前に復刊ドットコムから出た 『佐藤さとるファンタジー全集』 は、もちろん全巻揃えました。

年齢的なことを考えれば、そして死因などからも、おそらく、これは天寿を全うしたということに近そうな気がしますので、残念だとか、悔しいとかいうような気持ちは不思議と湧いてこないのですが……
ただ、やっぱり、寂しいものはあります。

面白い物語を、私の幸福な子供時代の読書を、本当にありがとうございました。

 コロボックルに出会うまで
 自伝小説 サットルと『豆の木』

 (2016/3/15)
 佐藤 さとる
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……で、そんなことを書いていたら、今度はディック・ブルーナ氏の訃報が。
ブルーナは、佐藤さとる よりも1歳年上の89歳ですが、これくらいは誤差のようなもので、ほぼ同年齢と言っても差し支えないでしょう。
死因として発表されているのは、老衰。
段々と弱って行って、最後は静かに息を引き取った、という感じなのでしょうか。
それは、亡くなり方としては、ある意味で理想形の1つ、かもしれません。
とはいえ、こちらも寂しくなる話であることに変わりは無く、つまり、私の子供時代を彩った様々なものをこの世に送り出してきた方々が、それぞれに鬼籍に入られて行ってしまうような、そんな時代になってきた、ということでもあります。

こればかりは、やむを得ないことではあるのですけれど。







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62円と52円

 2017-02-14
昨年の12月に日本郵便㈱が発表した内容によれば、今年の6月1日に行われる郵便料金の改訂で、ハガキが今までの52円から62円になるそうです。
SNSや電子メールの利用が増えた結果、郵便を使う人が減少したこと。
郵便配達の経費としての人件費が無視できないくらいの負担になっていること。
それ等から生じる日本郵便の経営への圧迫を回避する為に、やむなく値上げに踏み切らざることになった。
値上げによって利用者がさらなる減少をするかもしれないことを考えても、業績悪化を避ける為には、これも仕方がないということですね。

その一方で、年賀状については今まで通りの料金で据え置きになることも発表されています。
これは、配達数が前年比で5.6%減っていて、かつ、ピークの平成5年と比較すると6割程度にまでなってしまっている年賀状を、これ以上減らしたくないという判断です。
行動に一貫性がないなぁと思わないでもないですが……
年賀状を大量に出さなければいけないような人にとっては、ありがたい話ではあるでしょう。

ただし、注意をしなければならないのは、例え年賀状を52円で購入した場合であっても、ポストに投函したのが一定の時期でなければ、それは10円の料金不足となってしまうということ。
ちなみに、ですけれども、日本郵便㈱の規定するところの年賀状とは、以下の様に定義されているそう。

「12月15日から翌年1月7日の間に差し出された通常はがきであって表面に『年賀』の文字を明瞭に手記して差し出されたもの」

つまり、これ以外の時期に出されたものであれば、それは年賀状では無く、ただの通常ハガキという扱いになるわけです。

年末の慌ただしさに追われていたら年賀状の印刷をする時間が確保できなかったり、メッセージの記入などが遅れたりした場合。
自分のところに届いた年賀状の返事を書くのが遅くなってしまったような場合。
そういったものが、これに引っかかってしまいそう。
また、余った年賀状を、例えば懸賞の応募はがきに流用するといったようなことも、できませんね(10円切手を追加で貼り付ければ、話は別ですが)。

今年の年末は、そういったところに十分注意しなければならないと考えると、これはかなり面倒くさい。
どうせ毎年20枚くらいしか年賀状を作っていないのだから、いっそメールにしてしまうか、とか、何だったら62円にしてもらってもいいよ、とか、そんなことも考えてしまいますが……


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ユニバーサルデザイン、というと、ちょっと違うか……?

 2017-02-08
TOTOのウォシュレット等に代表されるシャワー式トイレについて、操作パネルに記載された様々な機能を示すスイッチに印刷されている記号を国内主要メーカー9社が統一することにしたと、先月半ばにリリースされたニュースで目にしました。
日本を訪れる外国人観光客が増加傾向にあること、2020年に開催される東京オリンピックを視野に入れ、ピクトグラムを統一することで、視覚的かつ直感的に各操作が分かるようなデザインに統一するのが狙いだとか。

現在はこのピクトグラムを国際標準化すべく、ISOへの申請を準備しているということですが、これは、確かに必要なことですね。
日本にやってくる外国人向けだけではなくて、高齢者への配慮という側面から考えても、業界で統一したデザインにするというのは素晴らしい動きだと思います。
こういったピクトグラムのデザインだけではなくて、メーカーによってまちまちになっているものはその他にも色々とあるので、その辺りも、このトイレの操作ボタンの後に続いてどんどん統一して行って欲しいですね。

こういうホスピタビリティーの表し方は良いのですが、一方で、オリンピックを前にして、外国人観光客への対応として企業などが発表したものの中には、何やら訳の分からないことも幾つか出てきていたりします。
ここで例を出してあげつらおうとは思わないですけれど、相手の表情をうかがって迎合することは、ホスピタビリティーの正しい表れでは無いでしょう?
宗教を筆頭にした文化の違い、習慣の違いに対する配慮は必要ですが、基本は、「郷に入っては郷に従え」というところに求められるべきだ、と私は思っているのですが……

少数の意見を気にしすぎたり、言われる前に余計な気を回す、なんていうことは止めにして、必要なものと不必要なもの、是と非とをしっかりと見極めた「おもてなし」をしたいものです。






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「沈黙 -サイレンス-」

 2017-01-29
遠藤周作の代表作の1つを、『タクシードライバー』等のマーティン・スコセッシ監督が、原作と出会ってから28年の構想期間を経て映画化した、『沈黙 -サイレンス-』。
以前に観た予告編で興味を覚えていたので、公開から1週間の先週末に劇場に行ってきました。

私は未読なのですけれど、『沈黙』といえば、そもそも原作自体が非常に有名で、その内容も広く知られている作品です。
ですが、それでも、ここで細かい内容を書いてしまうのはいかにも興醒めというものでしょう。
なので、ここでは基本的にそこには触れずに置jこうと思います。
それでも、私同様に原作未読の人もいらっしゃるでしょうから、ここで簡単に触りだけを書いておくとしたならば、江戸時代初期、幕府によるキリシタン弾圧が激しく行われていた長崎で、自分たちの師匠であり、日本で捕えられて棄教したとされる宣教師を追って密入国した2人の宣教師の物語になります。

神とは、信仰とは、罪とは、強さと弱さ、そして、許しとは。
私はクリスマスにケーキを食べ、寺で厄除け祈祷をし、新年や受験前には神社でお祈りをするというような典型的な日本人で、特定の宗教を信じたりはしていない人間なわけですけれども……
それでも、色々と考えさせられずにおれない映画でした。
宗教的な話題はデリケートなことではありますが、この作品で描かれている題材やテーマは、キリスト教に限らないある種の普遍性もあるのではないでしょうか

主演のアンドリュー・ガーフィールドを始め、役者陣の演技も非常に素晴らしくて、個人的にはイッセー尾形と浅野忠信の2人が、とりわけ強い印象を残したと感じました。
また、本作には思わぬ人が結構出演していて、エンドクレジットに PANTA の文字を見つけた時には、かなり驚かされたのですけれども、PANTA、どこに出ていたかな……?
また、主に台湾で撮影したという映像も美しく、極力音楽の主張を排した抑制された演出も作品に合っていて良かったと思います。

2時間40分の上映時間が長く感じない、それだけの力を持った力作です。
宗教題材なので、誰しもが観るべきだとまでは言えませんが、この映画のことを知ってちょっとでも興味を抱いた人であれば、是非、映画館に足を運んで大スクリーンで観るべきです。
それも、できれば、音響のいい映画館で。

ちなみに、720円という昨今では良心的な価格のパンフレットはテキスト主体の堅実な内容で、久しぶりに映画を観た直後に、欲しい、と思って購入してしまいました。


公式サイトは こちら から



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東京>パリ&北京

 2017-01-26
冬の朝はとかく寒くてたまりませんけれども、その一方で空気中に塵が少なくて澄んでいるので、例えば冠雪した富士山の姿が下の写真のように非常にくっきりと見えて、それが嬉しかったりしますよね。
何だかんだ言って、富士山というものに一定の思い入れを抱いてしまうのは、日本人の性でしょうか。
だから、電車の窓でも、街を歩いている時でも、そこに富士山が見えると、気持ちがついついワクワクとしてしまうのを止められません。



そういえば、小学校の頃に丹沢の大山山頂から見た東京都内は、空に一本黒い帯が街を覆うように走っていました。
それはもう、あれは大気汚染が作りだしたものだと、一目ではっきりと目で分かるくらい。
それがいつからか、そんな黒い帯の下だったはずの東京からも、これだけクリアーに富士山の姿が見えるようになったのは、つまり東京の大気が、あの頃に比べると遥かに綺麗になったということです。
原因として考えられるのは、工場や焼却炉の排ガス規制もそうですし、ディーゼル車への規制も大きく働いた結果でしょう。

新銀行東京しかり、築地市場の豊洲移転しかり。
個人的にはあまりいい印象の無い石原都政でしたが、ディーゼル車の規制はそんな政策の中でも、群を抜いて素晴らしい施策だったと思っています。
もしかしたら、唯一のプラス政策かもしれない、というくらいに。

そうして東京の大気が浄化されていく一方で、石炭による暖房や自動車の増加等々により、中国の北京辺りはとんでもないことになっていきましたよね。
PM2.5 の飛散量は、一向に減る気配を見せません。
近代化、工業化の過程で公害が出るというのは、かつて日本も辿ってきた道です。
成長、発展を目指すのであれば、どうしてもそういう過程を経ずには済ませられないのだとしても、これはさすがに酷いなあと感じていたら……

なんと、最近は、近代化や工業化はかなり昔にひと段落ついているはずの、フランスの首都パリにおいても、大気汚染が非常に深刻なことになっているのだとか。
自動車のほとんどがディーゼル車であることとか、旧式の暖炉の仕様や工場の煙などが原因だ、という記事をネットで読みましたけれども、ユーラシア大陸の東と西のどちらともで、似たようなことを原因に似たようなことになってしまっているというのも、何だかなあ。
それが人というものだ、と済ませてしまうのは簡単ですけれども、それではちょっと救いが無さすぎです。
フォルクスワーゲン社がクリーンディーゼル車の排ガス不正を行っていたということが、こういうところにも負の影響を及ぼしているのではないか、と思ったのですが、実際、無関係ではないでしょうね。

10年以上前に私がパリに旅行した時には大気汚染なんて感じは無かったのにと思うと、少々切なくもなってきてしまいます。
在りし日の姿というわけではありませんが、最後に、その際に撮影した2004年秋のパリの空の青さの分かる写真を貼っておきます。
どうせならば、パリの大気汚染を伝えるニュースにしばしば出てくるエッフェル塔が被写体のものにしたかったのですが、青空をバックにした、ちょうど良さげなものがありませんでした。
そこで次点として、モンマルトルの丘にそびえるサクレ・クール大聖堂を写したものを選んでいます。

北京は一度も行ったことが無いのであれですが、私の中のパリのイメージは今もこの青空です。



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