「深海大戦 Abyssal Wars 超深海編」

 2018-01-20
私の好物の1つとも言える海洋SFジャンルの、全3巻からなる藤崎慎吾の大作小説が、『深海大戦 Abyssal Wars』になります。

深海を舞台にして、海に生きる場所を求めたシー・ノマッドと、陸上にある旧来の国家群(特に先進諸国)との対立を描いていく作品になるのかな、と思わせておいて、実は異性文明との接触ネタを軸に据えた作品だとは、読み始めた当初は想定すらしていませんでした。
作者の過去作である 早川文庫JAの『ハイドゥナン』や文春文庫の『鯨の王』といった、同じく海洋を舞台にしたSF作品の印象に知らずに縛られていたのかもしれません。
藤崎慎吾の海洋SFで、かつ深海が題材となれば、当然こういうモノになるよね、という先入観というか……
そういう、ある種の予定調和のようなものを外してきたのは、少々新鮮だなと感じました。

本作の場合、著者の過去作品から推測できる、という意味での予定調和が、別の意味での予定調和、つまり、人に与えられたオーバーテクノロジーの謎とか、未知の世界の探求とか、そういうものを題材にした一般にもウケそうなエンターテインメントなSFをやる場合の非常にベタな方法に置き換わっているだけだ、と言うこともできてしまうなと、思わないでもありません。
それが悪い、というわけでは、必ずしもありませんけれど。

作品の1つのキーポイントであるシー・ノマッドという設定には、ハヤカワ文庫JAから出ている上田早夕里の『華竜の宮』や、その続編となる『深紅の碑文』といった作品のことをどうしても連想させられてしまったのは事実ですが……
本作はあれらとは違いディストピアものというわけではありませんので、その雰囲気は随分と違っています。

帯には様々な人からの賛辞が印刷されていますが、実際読んでみて、なかなか面白い作品でしたし、興味を惹かれたという人は、是非、ご一読ください。


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「横浜大戦争」

 2018-01-13
「ご当地小説」的なものというのは、有名な観光名所から、地味な地方都市や農村なども含め色々とあるものですよね。
そんな中の1冊、昨年の6月に発売された蜂須賀敬明の 『横浜大戦争』 を読みました。

実のところ、発売直後に横浜市内の某本屋で、サイン本が大量に置かれていたのです。
で、横浜市の18の区、青葉区、旭区、泉区、磯子区、神奈川区、金沢区、港南区、港北区、栄区、瀬谷区、戸塚区、都筑区、鶴見区、中区、西区、保土ヶ谷区、緑区、南区のそれぞれを担当する土地神が、横浜市の大神の命により、横浜ナンバーワンの土地神を決めるべく互いに相争うことになる、という物語設定と、その大々的にプッシュしている様に大いに興味を惹かれ、購入していたのですね。

なお、上にずらずらと書き連ねた区の名前ですが、これはあくまで五十音順であり、その並び方に含むところは一切ありません。
というか、ここで下手な並び方を選んでしまうと、例えば某〇〇区に住んでいる友達や、あるいは某△△区出身の友達などに、ウチの区が下だと言いたいのか、と、苦情を言われてしまうかもしれませんし……というのは、もちろん冗談ですが。

この手の作品はローカルなネタをこれでもかと盛り込んだ地域感丸出しなモノになりがちですよね。
そうなると横浜市の住民、それも住み着いて間もない人では無くて、既に最低でも3年以上は住んでいて、その地理だとかそれぞれの区の特性というようなものについてある程度知っているような人でなければ楽しめない可能性が出てくる、そういう人しかターゲットになり得ない作品になる、ということも、ままあるものです。
とはいえ、横浜は370万人都市なので、そこだけを狙った作品を出しても、それはそれで、一定の売上が期待できるのかもしれませんが……。
とりあえず言えるのは、まるで横浜市に興味が無い、という人には向かない作品だということですけれど、そういう人はそもそもこれを読もうとは思わないだろう、と突っ込まれてしまえば、それまでですね。

それぞれの区の土地神を思い切りカリカチュアライズして、例えば「青葉区ってこうだよね」「旭区ってこうだよね」というのをギャグすれすれまで強調するというのも、パターンとして考えられる王道なやり方です。
実際、この作品ではそういうところも一部に見られなくもないのですが、案外と、そこまでローカルにバリバリな内容にはなっていないように思えました。
まぁ、例えば金沢区の土地神が病院を経営している医者だというのは、そこにかなり大きな横浜市立大学病院がある、ということを知らないと、何でそういう設定になったのかが分からない可能性が高いかも、というようなことはあるのですけれど。
とはいえ、それが分からないからといって楽しめないような作品にはなっていませんし、逆に、どうせならばもっと多くのローカルネタ、横浜市民でも知らなかったりするようなディープなネタを盛り込んでみても良かったのではないか、というように思ったりもします。
そこまでやらず、この程度に収めている本作の方針が正解だったかどうか、それは、これが読者にどれくらい支持されたかによるのでしょう。
とりあえず、まずまず面白く読ませてもらいました。



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「未必のマクベス」

 2018-01-06
あちこちで絶賛されているのを見て、ずっと気になっていた早瀬耕の 『未必のマクベス』 を読みました。
ジャンルとしては、企業謀略小説であり犯罪小説、とでもなるでしょうか。
この文庫版が発売されたのは昨年9月なのですが、毎月大量の新刊が発売されて棚が入れ替えられていく文庫コーナーにおいて、多くの諸点で未だにお勧めコーナーの目立つ位置に置かれており、場合によって特設コーナーまで設けられるなど、書店員からの絶大な支持を受けている作品です。

「未必」という単語を聞いてすぐに思い浮かぶのは、「未必の故意」という言葉ではないかと思います。
弁護士ドットコムの用語解説ページを参照してみると、同語は「罪を犯す意志たる故意の一態様であり、犯罪の実現自体は不確実ではあるものの、自ら企図した犯罪が実現されるかもしれないことを認識しながら、それを認容している場合を意味する。」と定義されています。
つまり、場合によっては自分の選択した言動が犯罪となることを知りながら、そうなってしまってもそれはそれで構わないという考えでいるということですね。
で、そういうものが「未必の故意」だとすれば、「未必のマクベス」とはどういう状況を指すことになるのでしょうか。

ちなみに、本作表紙に印刷されている英字タイトルは 「UNCONSCIOUS MACBETH」 となっています。
これを再度日本語に訳すと「無意識化のマクベス」とでもなると思われるのですが、「自分がマクベスとなってしまう可能性があることをはっきりと承知していながらも、それでも構わないと考えている」ということだと思われる「未必のマクベス」とは、少々温度差がありますよね。
こういうのは本作を読んだ側が自分なりに感じて解釈すればいいことではあるのですけれども、作者である 早瀬耕 自身は、これについてどう考えているかが、気にならないと言えば嘘になるかもしれません。

なお、改めて言うまでもないかもしれませんが、本タイトルの「マクベス」とは、ウィリアム・シェイクスピアの、いわゆる四大悲劇の1つとして知られる 『マクベス』 のことです(言わずもがなかもしれないですが、四大悲劇の他の3つは 『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』 です)。
『マクベス』 いついての詳しい内容はここでは言及しないですけれども、「未必のマクベス」とはつまり、主人公である中井優一がマクベス王と同じ道を歩むことになってしまう、その過程を描く物語だと言えるわけです。

北上次郎は巻末の解説文で本作のことを、「とても素敵な小説だ。究極の初恋小説だ。」と評しています。
「究極」であるかどうかは読者それぞれが判断すればいいとしても、本作が初恋小説だ、という点については、間違いのないところだと言い切れます。
冒頭に私は、本作を企業謀略小説であり犯罪小説と書きましたけれども、本作は、それと同時に、上質な恋愛小説、初恋小説でもあります。
「未必の故意」は「未必の恋」でもあるというのは、ネット上で見かけた本作の感想に書かれていたフレーズなのですけれども、これはまさしくその通りだと思います。
かなり刹那的なシーンや暴力的なシーンもありつつも、本作がどこか柔らかい雰囲気を漂わせているのは、「初恋」が根底に流れているからかもしれません。

非常に面白い作品であり、時間を忘れて読み耽れて、頁をめくる手が止まらないことを請け負えます。
およそ読者好き、物語好きな人であれば、読まずに済ませてしまうことがもったいない、大いなる名作、いや、とんでもない傑作だと断言できます。



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「紙の魔術師」

 2017-12-30
今年最後の読了本紹介は、チャーリー・N・ホームバーグ の 『紙の魔術師』 を選んでみました。
魔術師を目指して専門学校を卒業した苦学生の少女が、特定の師匠について、いってみれば自動車の仮免許状態から正式な免許の取得をする為の実習を送ることになる、という導入から始まる物語です。

この世界において魔術師である者は、その希望や素質に応じて特定の物質と結び付く儀式を行うことで、その物質を利用した魔術がつかるようになる、というのが、本作の世界観。
主人公は学校を首席で、しかもわずか1年間で卒業した才能の持ち主なのですが、そんな彼女が儀式によって結び付けられることになったのは、よりによって、近年すっかり不人気となってしまっている、紙の魔術。
紙の魔術というのは、要するに本を読み上げてその内容を幻影として映し出したり、折り紙で動物などを折って使役したりする、というものなのですが……

この紙使いというスタイルは、読子リードマンや三姉妹を連想せざるを得ないわけですけれども、作者がその辺をどこまで意識しているのか、そもそも倉田英之の小説 『R.O.D READ OR DIE YOMIKO READMAN "THE PAPER"』 のことを知っているのか知っていないのか、そのOVAやTVアニメのことを知っているのか知らないのか、そういうのは分かりません。
ですが、これくらいの年代の英米のファンタジー・SF作家は、大抵の場合、日本のアニメやマンガの強い影響を受けていたりするので、このチャーリー・N・ホームバーグも、その例に漏れないのではないかなと、私は勝手に思っています。
ちなみに、本作が仮に 『R.O.D』 の影響下にあるとしても、内容的にはパクりとかオマージュというレベルではなく、インスピレーションを得たというレベルなので、特にだから何だという話でも無いのですが。

作中で発生する事件の規模が期待していたものよりもずっとこじんまりしていたので読みごたえという点で若干の不満は生じましたが、お約束の「ラブ」要素もあって、まずまず面白かったです。
本作は3部作仕立てになっていて、第2巻は1月に、そして第3巻も続けて翻訳刊行されるそうであり、引き続き、続巻も読むつもり。



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「ギンカムロ」

 2017-12-23
私のチェック不足ではありますが、気付かないうちに集英社文庫でも作品を出していたのが、美奈川護。
とはいえ、ライトノベル系に限らず、違う出版社からの新作発表というのは、よくある、とまでは言わないものの、そこまで珍しいことではありませんよね。
執筆する作品の傾向が変われば、ジャンルも変わってくるものですから、もともとお仕事小説系が得意で、一般娯楽小説への親和性も高かった美奈川護が集英社文庫でも作品を出すというのは、なる程、納得の行く話とも言えます。

で、ならば、見落としてしまっていた作品についても順に読んで行ってみようかなということで、まずはその1作目、2015年の6月に出た 『ギンカムロ』 を読了してみました。

予想通りというか何というか、本作は作者のホームグラウンドである、お仕事小説でした。
まぁ、新しいレーベルに進出した時には、自分が一番戦えるものを持ってくるものですし、そもそも編集サイドからも、そういうものを依頼された可能性も高かろうなと思われます。

ちなみに、今作で扱われている職業は、花火師。
隅田川花火大会とか、東京湾花火大会とか、そういう、都会で行われるような大掛かりなイベントの仕事をするようなところではなくて、地方で地元の祭りなどの花火を担当する花火師が題材です。

幼い頃に家業の花火工場の爆発事故で両親を亡くし、高校を卒業後は地元を離れて東京でフリーター生活をしていた主人公。
彼が、社長である祖父に呼ばれて四年振りに帰郷して、祖父に弟子入りして修行中であるという若い女性花火職人と出会うことから、物語が始まります。
じんわりと胸に迫るようなタイプのストーリーで、ベタだと言ってしまえば、これ以上ないくらいにベタですね。
場合によっては、ただ陳腐なだけのものになりかねない、そんなベタさを上手い具合に料理してみせるのが、つまり美奈川護の真骨頂だとするならば……
この 『ギンカムロ』 はその良いところが存分に出ている佳作だと言えそうです。

従来の読者も満足できて、かつ、新たな読者を掴むことにも成功し得る、そんな作品になっていると感じました。

こうなると、表紙のイラストが地味なのが、ちょっと残念なところですが……
ラノベ、キャラクター小説を読まないような新規層を開拓しようというのであれば、むしろこれくらいが正解なのかもしれませんね。


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