「王の心 再臨飛翔の書」

 2017-06-10
富野由悠季の書いた「王の心」3部作の最終巻が、今回紹介する『王の心 再臨飛翔の書』。
カロッダの大地が人々のアウラ・エナジィの力で天空を目指して浮上し、宇宙を旅することを目指す様を描いた本作は、グラン王の一族が織り成す、血と策謀と死と性とに塗れた物語です。

地球から浮き上がって宇宙を目指す大地(≠舟)とオーガニックなエナジィという設定は、おそらくではありますが、『機動戦士Vガンダム』以後、精神的に少し病んで本作を執筆していた富野監督の、復帰作品であった『ブレンパワード』の原型となったのではないか、とも思えますね。
「アウラ・エナジィ」というのはつまり「オーラパワー」ですから、その辺は一連の「バイストン・ウェル」サーガにも連なる部分が無きにしも非ずですし、砂漠のように荒れた大地と空に浮かぶ島、という設定からは、同じく富野監督のオリジナル小説である『シーマ・シーマ』全3巻も思い出します。

ただし、これは別に、それぞれの話に歴史的な繋がりがあるとか、登場人物や物語がどこかで共有化されているとか、そういうことは意味していません。
あくまで、富野由悠季という1人のクリエイターの頭の中、アイディアやイメージの変遷というか、どういうことを考えているのか、ということが窺えて面白い、ということです。

一番悪い時には、自宅から出ることもできないくらいの鬱状態にあった富野監督。
そのメンタルをそのまま作品に封入するということは、さすがに彼もしていないのですが、とはいえ、書き手の精神状態から作品が完全に解き放たれるべくもなく、本作のそこかしこには、その鬱の気配が濃厚に漂っていて、それが個性というか、富野作品の中でも少々独特の空気を感じさせるものにもなっています。

描かれているのは人が生きるということ、その過程で生じる愚かしさや悲しさ、優しさ、美しさ、哀しさ、悪しき様や善き様、つまりは「業」とでもいうべきものであり、しかしそれを越えてみせれば生命は希望に至ることができるかもしれないということです。
それは富野由悠季の常なるテーマですが、それが特に際立ったいる、極みにあるのが、『王の心』という作品なのかもしれません。
その分、観念を文章で弄んでいる感があって、エンターテインメントになれずにいる部分もあるのですが、「文学」というものに憧れを抱いている富野監督にとっては、文筆業のところでこういう作品を描けたというのは、結構な達成感もあったのだろうなというのは、想像に難くありません。

多くの死を呑み込んでフローランドし、宇宙を往く船となった、未来のカロッダの地でのとあるシーンが語られるエピローグも、歴史になる、というのはこういうことだよな、と感じさせられて、しみじみとさせられました。
なるべく精神的にも肉低的にも元気な時に読むこと、という条件付きで、富野小説のキモの部分を濃厚に味わえるものとして、興味をちょっとでも覚えてもらった人には、是非ご一読をと、お勧めできる作品なのですが……。

何せ、平成8年の出版から既に20年以上が経過していますし、メジャーな作品でも無いので、モノは既に絶版。
今からだと、入手することも難しいかもしれません。

そういうものをここで採り上げるというのも酷い話かもしれませんが……非常に刺激的に、面白く読ませてもらったので、そういうところはこの際目をつぶって、紹介させていただきました。



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2017年6月9日は……

 2017-06-09
50回目の、「ロックの日」です。

とりあえず、多くは語りません。
生誕50周年、おめでとうございます!



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「裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル」

 2017-06-03
異世界モノのラノベ的なタイトルであることに加え、それっぽい表紙の装丁にもなっている、宮澤伊織の『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』。
私が定期的にチェックしている作家だったり書評ブログだったりで、かなり絶賛されていたこともあり、いかにも興味深い感じだったので、これは是非とも読まねばならないと思って購入していたものです。

端的にこの作品をジャンルで表現するならば、多くの書評サイトなどで言われているように、「怪談SF」ということになるのでしょう。
もう少し具体的に書くなら、お化け、妖怪、都市伝説といった怪談を題材に、そこに科学的な要素、考証を加えてSFとしてまとめた作品、ということです。

もちろん、実際に妖怪の存在が科学的に証明されているわけではないので、あくまで思考実験というか、「これこれこういう解釈をすれば、ある程度科学的に根拠づけられる」というような感じなのですが。
それを、どういう理論でやってくるのか面白がりつつ読むのも、この手のSF作品の楽しさの1つだというのは、敢えて言うまでもない、でしょう。

ちなみに、ここで扱われている怪談は、例えば江戸時代もしくはその前から伝えられてきているような伝統的なものでは無くて、ネット時代に語られだした、いわゆる実話怪談・ネットロアになってます。
「くねくね」「八尺様」「きさらぎ駅」等、生理的にゾワッと来るような、そういうものが本作には採り上げられているのですが、それがどのように料理されているのかは、読んでのお楽しみということで、ネタバレはしません。
前述のSF的な設定は、なる程ね、という感じで、「これは、やられた」と思わず膝を打つようなことこそなかったのですが、結構、面白く読ませてもらいました。

未解決のこともあるので続編も出そうと思えば出せそうですけれど、その辺は、作者や担当編集はどう考えているのでしょうか。
評判に違わずなかなか良い作品だったので、2巻を出せる材料があるのであれば、それも読んでみたいと思うのですけれど。

ちょっとお薦めの1作です。



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「藤田和日郎本」

 2017-06-01
世の中にムック本というのは、結構多くの数が出ています。
そのジャンルも様々ならボリューム(ページ数)も様々、そして内容の傾向も様々ですよね。
その中でも、私が買うのは大体、マンガ、エンターテインメント系の小説、あるいは好きなミュージシャンに関するもの。

最後の音楽関連のものはとりあえず今回は置いておくとして……
マンガや小説に関するムック本は、特定の作品を採り上げてキャラクター紹介やエピソード紹介等を中心にした、いわゆるファンブック的なものもあれば、評論家の寄稿等を中心に作品論や作家論を中心にした硬派に攻めたものもあります。

そのどちらも、それぞれの面白さがあって良いのですが、硬派な方は時に読みづらさもあったりするのが難点です。
作家論、作品論を語る時に、とかく難しい用語や表現を使うのは、例えばそれを学術的にも通用するようなものにしようとすればそうもなろうなという風に思えますし、そこまでを考えていなくても、普段書いているものの手クセというか、作品や作家について何か書こうとしたら普通にそうなってしまう、ということもありそうなこと。
まぁ、そういった本格的な評論の載っているようなムック本というのは、もともとそういうものを扱う評論雑誌を出しているような出版社の、その評論雑誌の別冊扱いのものだったりするわけですが。
他方、ファンブック的なものというのは、そもそもその作品を出版している出版社が出すことが多く、イラスト等も豊富で、時に書下ろし短編なども掲載されることも。

そんな、ファンブック系のものと、評論系のもの、その両者の中間に位置するようなムック本を、新たに小学館の少年サンデー編集部が、出し始めました。
作品紹介と評論、作者インタビューゲストの寄稿等からなる、その企画の第1弾が、『うしおととら』 や 『からくりサーカス』、『月光条例』、『黒博物館 ゴースト アンド レディー』 等の傑作を描いてきた、藤田和日郎。
そのデビュー直後から藤田ファンである私としては、これは買わずにはいられません。
で、1ページずつ丁寧に読んでいったのですが、これ、いいですね。
ムック本の中でも、なかなかのハイレベル……って、何だか偉そうですけれども、実に楽しく、面白く読ませてもらいました。

このシリーズは、ちょっと注目すべきかも。



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「ニルヤの島」

 2017-05-27
以前に読んだ 『クロニスタ 戦争人類学者』 がかなり面白かったので、文庫化もされているデビュー作も読んでみようかと、実在の戦国武将の名をペンネームにした柴田勝家の 『ニルヤの島』 を購入。

個人の人生の全てをログとして記録し再生できる生体受像(ビオヴィス)の発明により、自分という存在が世界から永遠に失われてしまう死というものに対する恐怖が薄れていき、その結果、死後の世界という概念が否定されることになった未来世界。
円環状の大環橋(グレートサーカム)で繋がれた太平洋の諸島国家であるミクロネシア経済連合体(ECM)を訪れた文化人類学者イリアス・ノヴァクは、現地ガイドとして雇用した日系の若者ヒロヤ・オバックの祖父である、死出の船を作る老人と出会います。
バチカンの法王さえも天国の存在を否定した時代において、死した後に人は「ニルヤの島」に行くと訴える「世界最後の宗教」統集派(モデカイト)が勢力を拡大しつつあるECMで、人の生と死、そしてその魂を導く実験とは、いかなるものなのか。
というような話なのですが……

改めてこの紹介文を書く為にストーリーラインを頭の中で整理してみると、わりとシンプルな物語であることに気が付きます。
しかし、実際読んでいる時には色々な要素が錯綜する複雑な話だと感じていたのは、おそらく、前述のノヴァクの他にもスウェーデン人の女性脳科学者ヨハンア・マルムクヴィストが主役となるもの他、全部で4つのエピソードが並行的かつ複層的に、そして時間軸を前後したりしながら綴られるという構造を、本作が持っているから。
もちろん、そうなっているのにはストーリー的な意味でも作品のテーマ的な意味でも必然があるのですけれど、それ故に一読状態では取っ付きにくい、ちょっと難しい物語に感じられてしまったのは、確かなことでしょう。

先に読んだ 『クロニスタ~』 での「自己相」という設定もそうでしたし、人の記憶や意識の外部へのバックアップ、もしくは共有化というのは、柴田勝家という作家が目下追いかけている大きな軸となくテーマなのかもしれませんね。
彼が大学院で研究しているという文化人類学的な要素は、本作では 『クロニスタ~』 より更に色濃くて、それが本作に独特の雰囲気をもたらしています。

ちなみにこの 『ニルヤの島』 は、2014年の第2回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しており、その際には審査員にかなりの絶賛を受けたそうなのですが、それもなる程なと納得できる、そんな力作でした。



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