「スーパーカブ」第2巻

 2017-10-14
ちょっと前に紹介した第1巻同様、ホンダ・スーパーカブ総生産1億台記念作という文字が帯に掲げられている、トネ・コーケンの『スーパー・カブ』第2巻。

非常に短い章を重ねて行くという構成は変わらず、例えばこの第2巻はおよそ250ページに44の章立てとなっていますので、平均すると1つ辺り5.6ページという計算になります。
もっとも、各章は完全に独立したエピソードになっているわけではなくて、わりと連続した内容になっていますし、この第2巻全体を通じて大きな1つのエピソードだとも言える構造ですから、単純にショートショート集と考えるのは間違いでしょう。
その一方で、短いエピソードの積み重ねであることから、ストーリーにしろキャラクターにしろ、色々と深く掘り下げるようなことはされていません。
この辺りは、何に重きを置いている作品なのかということなので、このスタイルが合うか合わないか、読む側の好みの問題になると思います。

主人公である天涯孤独の女子高生、小熊がカブに出会い、自分の世界が広がっていくことを感じるという成長譚だった第1巻。
その延長であるこの第2巻は、山梨県の北杜市、韮崎市、甲府市という地域で、株に寄って繋がっている2人の女子高生の、真冬のカブライフ+アルファ、という感じの内容で、今回も楽しませてもらいました。
なお、新キャラがいることが良い方向に働いたかどうかは……これだけでは、何とも判断しかねるところです。
シリーズ3冊目でも出れば、そこははっきりしてくるでしょう。

ちなみに、角川の小説投稿サイトカクヨムで以前に発表されていた第2章は「大学生編」とタイトルを変え、その前に、今回のこれが「第2章」として入ることになった模様。
そして、現在は、高校時代の第3章が、発表され始めています。
今回の売れ行きが良ければ、そちらも文庫化されるだろうと思われますし、ちょっとワクワクしながら待ちたいと思います。



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「横浜駅SF 全国版」

 2017-10-07
今年の5月末に「本館」の「読む」に掲載した作品の続編である、柞刈湯葉の『横浜駅SF 全国版』を読了。

続編、という扱いで紹介しましたが、実際的には外伝集というか、サブエピソード集といった方がいいかもしれないような内容になっています。
ここに収録されているのは、「瀬戸内・京都編」「群馬編」「熊本編」「岩手編」の4編で、その全編を貫く軸になるものが「プロローグ」で語られていますので、言い方としては、連作短編、と呼ぶのが正しい、かな。
第1作に出てきたキャラクターも登場して、そこでは触れられなかった謎の部分への言及もありますから、そういう意味では「続編」というのも間違いではありません。
更に、この「全国版」を読んだことで新たに生じる疑問などもあったりするので、これは、作者には是非、『横浜駅SF』を、最低でも、もう1冊は書いてほしいものです。

世界観のイメージは、相変わらず秀逸ですし、田中達之のイラストも作品の雰囲気にはピタリとハマっています。
どこかアイロニカルな文体は、本作には合っているということもあって、今回も非常に楽しく読ませていただきました。

無限に自己増殖を続ける横浜駅が本州のほぼ全てを覆い尽くして「横浜駅化」しており、北海道、四国、九州が横浜駅の侵入を防ぐべく抗戦を続けている、という本作の世界観。
これは、横浜駅が開業以来常にどこかしら工事が行われていることから、永遠に完成しない駅として「日本のサグラダファミリア」とも呼ばれている(工事が始まったのはサグラダファミリアよりも横浜駅の方が先だから、あちらを「スペインの横浜駅」と呼ぶべきだという主張もあり)事実を知っていると、余計に、ネタ小説としか思えなかったりもするくらいです。
しかし、小ネタの仕込まれたディティールが、冗談で終わらずに設定からしっかりと作り込まれていることが分かってくるにつれて、おお、これは意外としっかりと「SF」をやっているではないか、と唸らされるようになってくるのが、本作のいいところ。

どうせ一発ネタのウケ狙いなんだろうと決めつけたりせずに、是非一度、手にとってお読みいただくことを、お勧めします。


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「カミカゼの邦」

 2017-09-30
ライトノベルの分野で活動して20年、神野オキナが一般文芸で初めて発表した作品が、『カミカゼの邦』です。
彼がこれまでの作家生活で得たものを全て注ぎ込んで、作家活動を始める前から抱いていた様々な葛藤や怒りや戸惑いといったものを、血と謀略とバイオレンスと、そしてそれに添えられるエロスと背徳感とで彩って、エンターテインメントとして結実させた1作であり、(本人もコメントしているのですが)まさしく畢生の力作になります。

表紙の見返しにあるあらすじ紹介を、引用させていただいてみましょう。

「魚釣島に日章旗を立てた日本人を中国人民解放軍が拘束。それを機に海上自衛隊護衛艦と中国海軍が交戦状態に入った。在日アメリカ軍もこれに反応、沖縄を舞台に、ほぼ半年にわたって戦争状態が継続することとなった。米軍によって組織された民間の自警軍―琉球義勇軍に参加した沖縄生まれ沖縄育ちの渋谷賢雄は、自らの正体を率い、血で血を洗う激戦を生き抜く。そして、突然の終戦―。東京に居を移した賢雄の周辺を、不審な輩が跋扈し始める。暗躍する中国の非合法工作員<紙の虎>の正体と、その作戦実行部隊<紙の風>の目的は―?やがて賢雄のもとに、かつての個性的な部下たちが、再び集う。さらなる激しい戦いの火蓋が切られた―。」


これを見る限り、物語の前半が沖縄での戦闘、後半が東京での国際謀略アクションなのかなと思う人がいるかもしれませんが、実際のところは、沖縄パートは物語の序章のみ。
2段組で約440ページというボリュームの、60ページ程でしかありません。
むしろ、ここはその後の展開の為の仕込みに過ぎません。

本作は、実際、明日にも現実世界で起きてしまうかもしれない危機を描いていあるのですが、ここに見られる中国、アメリカ、韓国、日本、という国家間の対立と、神野オキナの生まれ育った沖縄の関係その他、本作の全てのページに渡って横溢しているルサンチマンは、義憤や公憤というよりは、冒頭にも書いたように、彼本人がずっと抱え続けていたものであり、この作品を、右寄りとか左寄りとか、思想的なことで判断しようとするのは、その意味でも、明らかに間違いでしょう。

本作は、あらゆる場面であっさりと、それも大量の死体が生み出されていきますし、作者の情念がドロドロと渦巻いてあちこちに牙をむき出していますエロスやバイオレンスに遠慮が無く、モラルは端から考慮されていません。
更に、登場人物が一部を除いてみんな壊れていて、正直、これを苦手だと感じる人は多かろうな、と思わないわけには行かない作品です。
その一方で、読書好きを名乗るのであれば、2017年はこれを読まなければ嘘だろうとも、思ったりしているのですけれど……。


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「怨讐星域Ⅲ 約束の地」

 2017-09-23
全3巻の作品の完結編となる、梶尾真治の『怨讐星域Ⅲ 約束の地』。

太陽フレアの異常膨張により焼き尽くされ、消滅してしまうことが分かった地球から、選ばれた一部の人間を乗せて脱出した世代間宇宙船ノアズ・アーク。
そのノアズ・アークと、ノアズ・アーク出航後に開発された星間転移技術を使って地球を脱出した、切り捨てられた人々。
5世代を重ねる程の年数を要して両者が、移住先である「約束の地」ニューエデンで再会するというのが、今回のストーリーのヤマ場です。

転移組が抱いている恒星間航行組への憎悪と恨みとで捻じれまくった感情が、ノアズ・アークからニューエデンに降下してくる人々を本当に惨殺してしまうのか。
それともそのような血まみれの再開は回避されるのか。
その結果がどうなるのかは、これから本作を読む人のお楽しみとして、ここでは触れないでおきますが、もしかしたら人によって、その内容に不満を抱かれるなんてこともあるかもしれません。
というのも、本作にはラストのカタルシス的なものがあまり無いから。
とはいえ、これは梶尾真治が物語の紡ぎ手として失敗したというようなことを意味しているのではなくて、要するに、作品の方向性がそもそもそういうところを向いていなかったということなのでしょう。

私がそう思うのは、シリーズ第1巻の後書きにおいて梶尾真治自身が、「年代記のようなものが書けないかな」と思って本作の連載(雑誌『SFマガジン』に不定期掲載)を始めた、と記しているから。
もちろんこれだけで断定するのは危険です。
それでも、SFで「年代記」、かつ、梶尾真治の発言ということからイメージされてきたのが、レイ・ブラッドベリの 『火星年代記』 だったんですよね。
で、ああいう作品に仕上げることができないかと模索をされたのであれば、おそらく、散りばめられた要素が最終巻で一気に集結されて一つの大きな物語を描き出す、というようなことは無いだろうなということは、そこから想像されていたという次第。

コアなSFファンだと技術的なところに突っ込みを入れたくなるかもしれませんが、本作が描こうとしているものが、そういうガチガチの技術的な設定を必要としていない、「様々なことが一変してしまった世界においても営まれる人の日常」というようなところにあるのだとすれば、それ等は些末なことだと言ってしまってもいいのかもしれません。
面白かったです。



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読書の秋

 2017-09-17
前回紹介した『マツリカ・マトリョシカ』に加え、この週末にかけてまとめ買いした本が、下の写真。
……思いっきり趣味にはしてますが、そもそも自分の趣味では無い本まで買うようなことは(それが仕事上もしくは勉強上必要だというのでもない限り)絶対にやらないので、このような趣味的ラインナップになっているのは、むしろ私にとっては、それだけ「こいつは買いたいな」と思う本が多かったということであって、むしろ非常に幸せなことだと言えます。

ちなみに、これ等を買うのには万単位の費用がかかっていますけれど、それ以上の楽しみを与えてくれるのは確定的だと信頼している作家の作品ばかり(ただし、1つだけ、ちょっと毛色の違う、初めて読んでみるものがまじっていますが)です。
つまり、どこから見ても妥当な出費です。
どちらかというと、これ等の読書体験から得られるものを考えれば、いっそ安いくらいかもしれません。

まぁ、例によって、何を、いつ、どのタイミングで読むのかは、まったく未定なのですが……
あまり積読状態で放置することなく、サクッと読み進めていければ、いいなぁ。



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