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「黄泉がえり again」

 2019-11-09
梶尾真治の『黄泉がえり again』を読むつもりは、当初はありませんでした。
というのも、前作である『黄泉がえり』が傑作であることは同意するものの、最近の梶尾真治は(それが読者や編集者から求められるからというのもあるかもしれませんが)同じようなメロウな作品を多く書いているような気がしていていたからです。
それも確かに彼の持ち味だから良いといえば良いのですけれども、しかしさすがにやや食傷気味でした。
さらに、『黄泉がえり』が良い作品であり、かつ単体で成立していて綺麗に締めくくられているだけに、変な続編を出されても読みたくは無いなぁという意識が強く出ていたというのもあります。
そんなわけで、2月末の発売自体は認識していながらも、すぐには買わずに、本作の事はそのままスルーしていたのです。

それが何だってこのタイミングで紹介することになったのかといえば、それは、本作が執筆されることになった背景に2016年4月に発生した熊本地震があるということを知ったから。
それってどういうことだろう、どんな風に物語やテーマに関係づけられていっているのだろう、そんなことに今更ながら興味を抱いたのです。

ここで、ちょっと裏表紙にある公式の粗筋を引用してみましょう。

あの大地震から二年。熊本で、死者が次々生き返る“黄泉がえり”現象が再び発生した。亡くなった家族や恋人が帰還し、驚きつつ歓迎する人々。だが、彼らは何のために戻ってきたのだろう。元・記者の川田平太は、前回黄泉がえった男とその妻の間に生まれた、女子高生のいずみがその鍵を握ると知るのだが。大切な人を想う気持ちが起こした奇跡は、予想を遥かに超えたクライマックスへ――。


この手の粗筋は必要以上に煽ることも多いものなので、本作の最終展開が「奇跡」なのかとか、「予想をはるかに超えたクライマックス」になっているかということについては、個人的には異論・疑問を感じないでもないのですが、まぁ、それはそれ。
ここでのポイントは、本作が大地震後の熊本を舞台にして、熊本の再生にエールを送ろうというような意図で書かれているというところにあります。
だからこそ、今回黄泉がえる人々の中には、「あの人」が含まれているわけですね。

黄泉がえり減少のネタが割れている分、前作のような緊張感が少し欠けているようなところもありましたが、全体的には人情味・人間味のある良い話になっていたと思います。
行為の深刻さに比べて扱いが雑で背後関係の描写等が足りず、その後どうなっているのかのフォローも無いのが気になる新興宗教団体の問題。
ラストにおける黄泉がえり減少の取扱い等々。
「それってどうなんだ?」と疑問を感じずにおれなかったこと等があるので、素直に称賛したり人にお薦めしたりはちょっとできないかなとも思ったりするのですが……。



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