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「小説 天気の子」

 2019-08-03
先ごろ公開された新海誠の新作映画を監督自らがノベライズした『天気の子』。
小説書きとしての新海誠の評価はともかく、たまにある、シナリオライターが書いたノベライズが、地の文が脚本のト書きの延長になってしまっていて、これは小説になっていないなぁという状態なものに比べると、新海誠はそこをしっかりと意識してしっかり「小説」の様式に持ってきているので、そういった部分の違和感は無く、起承転結のある小説としてきちんと読ませてくれます。

新海誠本人が後書きで書いていますが、今回の『天気の子』のストーリーがこういうものになったのには、前作『君の名は。』の予想外の大ヒットと、そんな中で作品のことを大幅にディスっている感想が彼の目につくようになっていたことが大きな影響を与えているようです(もちろん、絶賛の声も一方で数多く存在したわけですが)。
その後書きを逐一引用しても仕方がないですし、私は新海誠本人ではないので間違った解釈かもしれませんけれど、つまるところ、エンタメ的なお約束とか、興業的な配慮とか、そういうものを考えずに、「そういう反応で来るのであれば、次は自分の言いたいこと、考えていることを、生で、剥き出しのまま主張する作品にしよう」と思ったということなのでしょう。
誤解、曲解、勘違い等が起きないように、敢えてド真ん中のストレートを投げ込むような物語にした、と表現してもいいかもしれません。
敢えてネタバレ的なことを書きますけれど、それが顕著に表れているのがラストの展開であり、ああいう、「世界よりも彼女を選ぶ」というようなことを主人公にやらせることで、恐らく否定的な意見・感想が数多く出てくるであろうことは、新海誠としては織り込み済みで本作を作っていたわけですよね。

しかし、『天気の子』という作品に関しては、世界を救うことが彼女を救うことに繋がっていていつの間にか主人公達と世界が幸せな結末を迎えることになるのがテンプレとなっているようなイメージのあるエンタメ系統の「セカイ系」に対して、世界の命運などを個人で背負いきれるものではないし、そんな義務も無いと言い切る本作は、かなり痛快で、爽快感に満ちたものでした。
例えば、世界を救うことが家族愛等と同等に扱われていたりするハリウッド大作映画や、あるいはお涙長頂戴的な自己犠牲万歳の物語には、盛り上がるドラマとして素直に受け止めつつも、さだまさし が「前夜(桃花鳥)」という楽曲で「わかってるそんな事はたぶんちいさな出来事 それより僕等はむしろこの狭い部屋の平和で手一杯だもの」と歌ったように、そんな割り切れるものではないし、結局人は自分の手の届く範囲の幸せを何よりも重視するのではないかという疑問も感じていた私としては、映画館で『天気の子』の結末を見た時には快哉を叫びたくなったものです。

このノベライズは、その時に感じていたもの、思っていたことを再確認し、さらに物語を補足するという点で、副読本的な意味でも楽しめた1冊でした。



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