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「黙視論」

 2018-05-19
以前に紹介した2014年2月発表の『少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語』の発表以来、執筆依頼が増えているらしい一肇の、昨年5月に出した『黙視論』を読みました。

仕事の依頼が増えているとはいっても、本人はかなり遅筆の人のよう。
また、本作も雑誌『文芸カドカワ』で連載された物を何度も推敲し直してからようやく単行本になったものらしく(ネットで色々な人の感想をざっと眺めた限りでは、そもそもの設定も、ストーリー展開も、連載時とは全くの別モノになっているということらしいです)、そういう人であれば、新作の刊行ペースが遅いのも、これは致し方ないと言うべきでしょう。

とにかくハイペースに次々と新作を投入してくるスタイルの人もいれば、年単位で間隔が開いて新作を発表するスタイルの人もいる。
これは、どちらが優れているとかいないとか、ペースの速い人は粗製乱造だとか、遅い人は駄目だとか、そういうことではなくて、人それぞれ、自分のテンポとペースがあるという、そんな当たり前で単純な事実というだけの話です。
まぁ、とはいえ、自分が注目している作家には、それなりの速さのペースで新作を発表して行ってほしいというのも、本音としては、ありますけど……。
それで作品のクオリティーが変に落ちてしまうようでは、本末転倒ですし。

で、前置きが長くなってしまいましたが、『黙視論』です。
極力他人との会話をしないで生活するということを自分へ課している女子高生、未尽が、本作の主人公。
ある日、校内で落し物のスマホを拾った彼女は、その持ち主から送られてくるメールに応えている内に、相手が文化祭の日に彼女の通う高校で爆弾テロを実行しようと企んでいるテロリストであること、そして、そのスマホが起爆装置であることを知ります。
九童環と名乗るそのテロリストと未尽は、メールを交わしている内に、お互いの正体をどちらが先に当てるのかというゲーム(未尽が勝てば環はテロ行為を止める、逆に環が勝てば未尽は起爆装置であるスマホを返却する)をすることになってしまい、そして……というのが、本作の導入部。

さて、実は本作、最終的に、誰が九童環であったのかという答えを明示していません。
それを不親切とか未完成とか駄作とか受け取るのは読者それぞれの自由ですが、本作の場合は、これは正しい選択のように感じました。
明快な答えが提示されない分、どことなくすっきりしない感の残る読後ですが、「こういうことなのかな」とか「多分、九童環の正体はあの人だろうな」というのは無いわけではありません。
それに、「言葉」というもの、人と会話をする、コミュニケートをとることの意味、その重要性といったものを掘り下げている物語は、なかなか思わせられるところが多くて、楽しめましたしね。

これは、何回か読み返さないと、いけない作品ですね。
大手を振って誰にでも薦められるというわけでは無い、やや上級者向けかもしれない本作ですが、基本、エンターテインメントの軸はしっかりとしていますし、ここを読んで興味を持ったという人は、是非。



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