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アルベール・カミュ 「ペスト」

 2020-06-27
満を持して……というほどではないかもしれませんが、今年の新型コロナ感染症問題を受けて幾つか読んでいる本の、一つの区切りとして、アルベール・カミュの『ペスト』を読みました。
もともとがあまりにも有名な作品であり、さらに今回のコロナ禍下における日本全国の自粛生活において更なる読者を獲得したことで、今更ながらにリバイバル状態でクローズアップされもしましたから、ここで粗筋など紹介しなくとも皆さん既によくご存じかもしれないのですけれども、それでも一応引用しておきましょう。

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に『悪』と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。


ペストといえば、ヨーロッパの人口の1/3が死亡したという14世紀の大パンデミックが有名ですが、本作が取り扱う時代設定は1940年代。
第2次大戦が終わっているのかいないのか、明記はされていないのですけれども、もともと本作がフランスで出版されたのは1947年であることを考えれば、一応、戦後間もない時期を想定しているのかもしれませんね。

物語は、最後になるまで誰であるかが明かされない語り手が、オランの街でおこったペストの流行を、後から、自己の経験と資料とを基にして振り返るという形式を取っています。
それはある種の疑似的報告書のようなものだと言ってもいいかもしれません。
そして、そういうものである為に、語り口は感情的なことを極力排して客観的に淡々と記していく視点で進められています。
それが良い事か悪い事かは簡単に評することはできませんけれど、とりあえず言えるのは、本作に、疫病の流行と蔓延を原因とした都市封鎖が行われた街における市民の生活を描いているということから、いわゆるパニック小説やパンデミック小説的なものを期待するのは間違いだということでしょう。

とはいえ、外部から隔離された都市で流行する疫病と、それによる死者の大量発生や人心の荒廃、暴動や虚無や退廃等を煽情的にかつ刺激的に書くことがエンターテインメント的で正しいというわけでもありません。
題材へのアプローチは人それぞれ、作品それぞれなのであって、その選択したスタイルできちんとした質の高いものが書かれているのであれば、問題はありませんよね。
そういう意味で言えば、この『ペスト』は確かに、全世界で高い評価を得ているだけのことはあって、クオリティーが高い作品になっていると感じました。

ただ一方で、個人の感想としては、この『ペスト』、文体があまりに文学的すぎて私の肌には合わなかった作品であるとも言えます。
上述の疑似的報告書のスタイルが、しかもアカデミックな訳文で書かれているので、まるで論文でも読まされているような気分にさせられるのもあってか、描かれている内容が真に迫ってくるようなことが無く、レトリックだけが表層を流れて行ってしまうようで、本当の意味で頭に入ってこなかったのです。
それはこちらの文章読解力の問題ではないかと言われてしまうと、それを絶対的に否定できないところもあるかもしれないのですが、しかしおそらくは、これは、そういうことではなく、単純に文体との相性の問題が大きいのではないかと思っています。

なお、『ペスト』といえばもう1つ、『ロビンソン・クルーソー』で知られるダニエル・デフォーが書いた同名の書籍があります。
こちらは1665年のロンドンでのペスト流行を幼少期に体験した著者が自身の経験を踏まえてルポ的に書いたもののよう。この際だから、そちらも読むかどうするか、現在検討中です。



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さて、どうしようか

 2020-06-24
いよいよ来週水曜の7月1日から、全国一斉にプラスチック製買物袋(レジ袋)が有料化されることになります。

対象となるのは「プラスチック製買物袋を扱う小売業を営む全ての事業者」と規定されていますので、私達の日常生活のあらゆるところで、今回の有料化の影響が出てくることになりますよね。
一般によく言われているのはスーパーやコンビニ。
スーパーなどの中にはだいぶ前から有料化を済ませているチェーン等も存在しましたが、コンビニについてはこの7月1日から初めてレジ袋が有料(セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートの大手3社は1枚3円という設定)されるということになるわけで、色々と混乱も予想されます。
少なくとも、レジでの処理速度は落ちるでしょう。
混雑時には大変なことになるかもしれませんが、こういうのも慣れなので、導入からしばらく経てば、皆さん多少は馴染んでくるのかもしれません。

私もコンビニは日常的によく使っているので……
エコバッグを購入して使うことを検討すべきか、3円だったら支払ってもいいと考えるのか、環境への配慮ということも考えなければですし、なかなか悩ましい問題だなと思っています。

有料義務になるのはバイオマス素材25%未満のレジ袋に限られますが、コンビニ各社は敢えて25%以上の素材を有料で使用するそうですね。
それは消費者の意識改革、プラスチック製のレジ袋は基本的に受け取らない、使わないという生活スタイルを定着させようという意図があってのことなわけで、ならば私も、エコバッグ、マイバッグを通勤カバンの中に忍ばせておいて、帰宅途中のコンビニでもそれを利用するようにしないといけないということになります。
コンビニやスーパーのレジ袋はゴミ袋に転用しまくって便利に使わせてもらっていましたが……やはり、ここはエコバッグの方向で考えて行こうかな。


経済産業省特設ページはこちら

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再検討の余地がありそうな気がします

 2020-06-22
先週報じられていたことですが、来年春の大学入試について、全国高等学校長協会が新型コロナウイルス感染症によって長期の休校期間があったという問題を踏まえ、全体を1ヶ月程度遅らせることを要望したことに対し、最終的に文科省は従前の予定通りの実施を原則的に決定したらしいですね。
そういえば、私が十数年にわたって受験していた某国家試験も、特に日程の延長などはせず、(あくまで今後の状況次第での変更を含んだうえでではありますが)予定通りに試験を実施しることを発表しています。

このうち、後者の資格試験に関しては、ここで例に挙げたものに限らず、会場の確保とか試験官・監督官の確保とか、採点機関や発表時期の問題等々色々と、監督省庁の本来業務などとも絡んできたりするので、なかなかズラし難いという側面があるのは、分からなくもありません。
が、大学入試というのは、どうなんでしょう。
センター試験(じゃなくて、来年からは大学入学共通テストか)については、まぁ、同様の理由からズラし難かったりもするのかもですけれど。
少なくとも2次試験だったら、ある程度弾力的な運用ができそうな気がしないでもありません。

受験料商売の都合とか、個々の大学に特有の諸々の事情とか、そういうのも存在するのかもですけれど。
その辺、実際のところはどうなんでしょうね?

ともあれ、例え今年の受験日程に関する今後の議論その他がまとまらずにその場しのぎ的に流れていき、(そんなことにはならない方が良いのは間違いないとはいえ)秋から冬にかけて再びコロナ問題が大きくなって、再度の休校期間が設けらることになったりして……
受験生の皆さんに1つ言えるのは、それで満足な勉強ができず、大学受験がボロボロに失敗したとしても、長い人生の中では、それは、そんなに大したことではない、ということです。

そういっても、現在、コロナ絡みで様々なハンデを背負いつつも全身全霊をかけて受験勉強をしていている人には、なかなかそうは思えないでしょう。
経済的に、そんなに何年も大学受験をできないという人もいるでしょう。

個々の事情は人それぞれですし、私がここで言っていることが全ての人に当てはまるとか、絶対的真理だとか、そんなわけは当然ありません。

だから、これはあくまで一般論的に私が思っていることだとご理解いただきたいのですけれど、社会人になって既に四半世紀ほどを経過していて思うことは、現役合格かそうでないか、どこの学校を卒業しているのか、最終学歴がどうなのか、という要素は、その人が仕事ができるかどうかということとは、本質的には関係がありません。
事務処理能力、思考能力、計算力などを推測する際の1つの指針にはなりますけれど、絶対的な指標にはならないです。
当初の就職の有利不利は、前年ながら歴然として存在しますが、その先は本人のやる気や努力次第で、一定限度はあるものの、結構、リカバリーが効くと、多くの経営者や成功者、国家資格保有者などと話をしてきた私は感じています。

なので、今年の大学受験を失敗したとしても、大学に通うことを断念せざるを得なくなったとしても、それは人生にとって致命傷にはならないのだと、そういう風に、現役受験生の皆さんには考えてほしい。
そのように、思うのです。


とはいえ、来年の大学入試の日程については……
再検討の余地があるのではないかなと、従来の予定通りにするとした文科省の判断には、疑問を覚えずにはおれなかったのですけれど。

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「下北沢インディーズ」

 2020-06-20
最近になって、岡崎琢磨の未読作品にも少し手を出していこうかなという気分になってきたので、まずはこの辺からと購入してみたのが、インディーズバンドを取材する新人の音楽雑誌編集者を主人公にした『下北沢インディーズ』。
公式の粗筋は、以下のようになっています。

まぶしくて、切なくて、最高に愛おしい、バンド×青春ミステリー!音楽雑誌で、インディーズバンドを発掘するコラム連載を任された新人編集者の音無多摩子。優れた耳を持つ、下北沢のライブハウスのマスター・五味淵龍仁の紹介でバンドマンたちを取材する多摩子だが、思いがけない事件に遭遇し――夢が転がっている街・下北沢で、音楽に情熱を注ぐ者たちの、熱く、ソウルフルな物語。


要するに、下北沢辺りのライブハウスで活動しているバンドを題材にして、その中で生じる「日常の謎」系の事件、例えば機材の破損だったり楽器の盗難だったりというような問題を、雑誌記者が(ライブハウスのマスターの力を借りながら)解決していくという作品になります。
日常の謎+お仕事小説という形式であり、ライトミステリーとしては売れ線なところをベタに狙ってきたと言えるでしょう。

こういうベタな路線は、そのジャンルの作法を守っていれば作品として破たんすることは無いですよね。
なので、あとは若干のオリジナル要素を入れるか入れないか、「日常の謎」の「謎」の部分が面白いものになっているかいないか、登場人物たちのキャラクター設定が魅力的なものになっているかいないか、というようなところで、作品の評価が決まっていくと思います。

その観点から『下北沢インディーズ』を見てみるとどうなのか、ですけれども、概ね手堅く書かれていますし、まずまず面白かったので、佳作と評していいのではないでしょうか。
本作ならではのオリジナルの部分は、おそらく岡崎琢磨自身や編集の狙いとしては、音楽雑誌編集のインディーズバンド取材という題材と、インディーズならではの事情というところにあるのでしょうが、そこにはそこまでの新鮮味は感じられず。
とはいえ、一切の手垢がついていない、過去に小説の題材になったことが全くないような職業で、かつ、この手のライトミステリーの題材にも適しているようなものというのも、それが現状どれくらい残されているのだろうかと考えれば、ちょっとくらいの既視感はやむを得ないとも言えそうです。

そういったありきたりさはアレですが、驚きはないけれども、事前に期待するレベルの面白さはしっかりと提供してくれる、悪くない作品でした。



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全120試合予定

 2020-06-18
明日19日はプロ野球の開幕日。
新型コロナウイルス感染症問題で遅れに遅れた2020年シーズンも、実施試合数を減らして、かつ、当面は無観客での開幕となりました。
とはいえ、感染対策がどうなのか、選手の長距離移動や宿泊の際の対応はどうなっているのか等々、不安な点は多いですよね。

ともあれ、こうして日常が少しずつ戻ってきているということが感じられるのは、いいことです。
先にも書いたようにしばらくの間は無観客開催ですが、そもそも私は、最後にスタジアムに試合を観に行ったのは10数年前という人間なので、直接的には関係が無いという考え方も成り立ちそうですが……
といって、TVで中継放送を観ている場合でも、スタジアムに詰めかけた観客の応援の声が無い放送というのは、そうではない状態と比べ、かなり大きく異なってくるというのは、まだ緊急事態宣言が出る前、阪神でコロナ感染者が出る前にTV放送された一部のオープン戦を観て感じているので、実際には、随分と感じが変わるということは分かっています。

しかし、まぁ、これは大きな一歩ですよね。
私が一番好きな自転車ロードレースは8月まで開催されないことが決定されていますが、プロスポーツも段階的に通常に戻ろうとしているのは、素直に喜ばしいことです。

とりあえず、仕事が時間までに終わらせられれば明日は、開幕戦の中継放送を感染することにします。
どの試合を見るのかは、とりあえずナイショで。

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当然、そういう流れになりますよね。

 2020-06-16
最近は多くの個人及び法人が、振込その他の取引をネットバンクで行うようになっていますよね。
少し前にニュースで見たのですけれども、その影響で、窓口やATMでの利用が以前より減っていると言うことを受け、大手銀行が店舗の削減・小型化に乗り出しているそうです。

例えば三菱UFJ銀行は今後の4年間で、今ある460程度の店舗を300店舗に減らし、その300店舗の半数は資産運用業務を中心とする小型店舗に変えていく計画を発表。
加えて、振込や入金の窓口対応は無くし、来店者が設置されたタブレット端末を使い自分で手続きするような形にするとのこと。

三井住友銀行は小型店舗の占める割合を今の5%から70%程度に大幅に増やし、みずほ銀行も店舗数をおよそ2割削減して約460店舗から370程度にする予定だそう。

わが身で考えても、今では個人ではネットバンクを使うことがほとんどです。
実店舗に行くのは手持ちが足りなくなってきて、ATMで現金を引出す必要がある時くらいでしょうか。
基本的に現金主義の私ですらそうなのですから、キャッシュレスをベースにして日々を過ごす、カードだったり電子決済だったりを主に使っているような人であれば、店舗に行く回数は、月に数回の私よりももっと少ないことでしょう。

利用者が少ないのであれば、銀行側としても、店舗をあちこちに構えてスタッフを配置する必要が無くなります。
店舗の削減や業務縮小をするというのは、経営判断としては非常に妥当なものでしょう。
家賃、固定資産税、水道光熱費、人件費等の経費も削減できますから、銀行側にすればこういう動きに出るのは当然のことです。
それで何が困るのかといって、私個人ではさほど困ることは無いのですけれど、現時点ではまだネットバンクを使っていない(使えていない)ような人にすれば、今後はちょっと大変かもしれません。
例えば、お年寄り(私の両親含む)とか。
それでも、これでもし事業者のネットバンク導入がぐっと推進されることになれば、20日、25日、月末最終日などに、複数の通帳と振込カードと手帳を手にしてATMを30分以上占領して入金確認と振込の作業等を行っている事務職員の姿も無くなっていくのではないかと思うと、実は一般的にはメリットの方が大きい話なのではないかとも、思えます。
ネットバンクはメンテナンスが行われる場合を除けば基本、24時間対応で入出金作業や確認作業が行えますから、毎月ATMに並ぶ事務職員にしても、仕事の効率化が達成できてプラスになるはず。
もっとも、そうやってATMに行くついでに自分の買い物をアレコレとやることや、喫茶店などで息抜きをすることが習慣化しているような場合は、ちょっとアレかもしれませんけれど。

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「破滅の王」

 2020-06-13
兵器としての運用を見込んで研究・開発されていたウイルスの漏洩による感染拡大という点で共通点もあるし、小松左京の『復活の日』を読んだのであれば、次はこれを読まなければと思ったのが、上田早夕里の『破滅の王』。
単行本発売の時から、これは文庫落ちしたら是非読んでみたいなと興味を覚えていた作品です。

この文庫、小さめの活字を使って1ページ当たりの文字数を多くし、挿絵も使わずになるべく厚くならないように気を使っているようですが、それでも結局500ページを超すボリュームとなっている、つまりは相当の大作になります。
現時点までに読んできたこの人の作品は、どれも結構な力作で読みごたえも十分だったのですが、そのせいか、上田早夕里の著作であれば、これくらいのボリュームがあるのは、それは別に普通なことなのではないかと感じらてしまったりもするのは、「慣れ」というのは怖いものだという話ですね。

一九四三年、上海。「魔都」と呼ばれるほど繁栄を誇ったこの地も日本軍に占領され、かつての輝きを失っていた。上海自然科学研究所で細菌学科の研究員として働く宮本は、日本総領事館からある重要機密文書の精査を依頼される。驚くべきことにその内容は、「キング」と暗号名で呼ばれる治療法皆無の細菌兵器の論文であり、しかも前後が失われた不完全なものだった。宮本は、陸軍武官補佐官の灰塚少佐の下で治療薬の製造を任されるものの、即ちそれは、自らの手で究極の細菌兵器を完成させるということを意味していた――。


というのが粗筋ですが、本作はジャンル的には第二次大戦の中国大陸を舞台にした歴史謀略サスペンスということになるでしょうか。

第二次大戦、日本軍、細菌兵器ときたら、どうしたって関東軍防疫給水部本部(七三一部隊)のことを連想せずにはおれないわけですけれど、もちろん、当然のようにソレは作中に登場します。
そこで書き手の政治的な思想を濃く入れるか入れないかは、それぞれの作家の趣味や考え方次第ですが、本作における上田早夕里はその点では後者より。
むしろそこを主張するよりも、もっと普遍的なヒューマニズムや、組織の中の人の在り様とか、戦時下という特殊な状況下であることが起こしてしまう感情の麻痺といったようなものの方に焦点が合わせられている、かな。
本人の実際の政治的信条がどうなのかは分からないものの、あくまで娯楽作品として作品を描くという点で、それは正解だったと個人的には思います。

難点を挙げるとするならば、基本的な時間軸の流れにおいては歴史に無かったことは書かない、つまり架空性は極力持ち込まないという形で描かれた弊害として、ラストがちょっとばかり不完全燃焼というか、物足りなさを覚えてしまうというところでしょう。
題材が題材であり、そこまでの緊張感ある展開があってのラストですから、もっとカタストロフィーが欲しかったです。
なので、そこで割と大きく点数を下げてしまう本作なのですけれど、それでも、結構面白く読ませてもらったのは確かなこと。
今年は新型コロナウイルス感染症問題もありましたし、興味のある方は読んでみても、損はしないと思います。



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ついつい、こんなことを考えてしまう……

 2020-06-11
夏の甲子園の開催中止が決まってそろそろ1ヶ月。

これまで練習を共にしてきた仲間たちとの高校生活の最後の大会が無くなる3年生に対しては、確かに可哀そうだなと同情する部分はあるのですが、しかし、3月くらいからのコロナ禍の状況を考えれば、開催をする方が無理というものでしょう。
で、これを受けて、球児への救済というと語弊があるかもしれませんけれど、東京都を始め、いくつかの都道府県では、せけて都道府県内の1位を決める独自の大会を開こうという動きがあります。

それは、まぁ、いいのです。
3密をどう避けるか、ワクチンや治療薬の開発もまだな現状、大会開催がクラスター感染を生むようになってしまっては仕方がないのですけれど、そういう大会を催すことで世の中が前向きな気持ちになれるという効果もあるでしょうし、再度の感染拡大に気を付けてやってくれれば、特に文句を言うような筋合いのものではありません。
が、ここで気になるのは、野球ばかりがクローズアップして語られる現状です。

夏の甲子園の前にインターハイも中止が発表されていましたし、運動系の部活だけを見ても、野球以外のあらゆる種目の全国大会が中止されたのですから、野球のみを特別視するのは、ちょっと違う気がします。
確かに、インターハイと甲子園では、主催する団体も違えば大会の性格にも異なるところがあることは間違いありません。
それはそれとして認識するとしても、でも、野球ばかりを取り上げて、救済の大会を開くというのも、それはそれで野球贔屓が過ぎるのではないかという風にも思ってしまうんですよね。
やるのであれば、インターハイの各種競技も含め、全ての種目について、個別の都道府県大会を開くべきだろう、それでこそ教育的に公平というものだろう、と。
これが屁理屈な理想論であることは。認めます。
ただ、野球そのものは私も好きで、例えばプロ野球の中継放送も毎年それなりに鑑賞している身ではありますけれども、今回の一件で、野球ばかりをことさらに取り上げて語ることには違和感を禁じえなかったということなのです。

更に言うならば、これは運動部の話に限らず、文科系の部活動でも同様のことは起きているのであり、一例をあげるならば、秋の全日本吹奏楽コンクールが中止されるなどの状況が発生しています。
そこまで話を広げていくと収拾が付かなくなるのでこの辺りで止めておきますが、可能であれば、注視になったすべての学生大会が、どこかで代替開催できるようになればいいのにという、今回はそんな話でした。

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「昨日の春で、君を待つ」

 2020-06-08
デビュー作である『夏へのトンネル、さよならの出口』がなかなかの良作だった八目迷の、長編2作目になる『昨日の春で、君を待つ』を読了。

ガガガ文庫お得意の青春小説路線に、時間ネタのSF要素と恋愛を絡めてくるのだから、基本的に、余程料理を失敗でもしない限り、つまらない作品にはなり得ないわけです。
そんな中でも前作は、それ等の要素をバランスよく使い、かつ、十代青少年のままならない感情を上手く描いていて、そこが実に面白いものになっていました。
とはいえ、先行諸作品の影響下から完全に抜け出して「八目迷ならでは」というものを作れているのかというところはまだ判断しかねるところもあったから、余計に次に書かれる第2作には注目しなければならない……と思っていたのに、4月に発売されていたことをすっかりスルーしていまっていました……。
コロナの影響で書店に行く機会が減って通販購入がメインになっていたことが原因の1つとしてあるのは否めないのですけれど、それより何より、八目迷という作家に関する私のアンテナが鈍っていたからそういうことになったので、これは大きな反省点です。

ともあれ、そういう期待感を持って読み始めた本作の、公式の粗筋は、以下の通り。

夕方6時のチャイム、“グリーンスリーブス”が流れ、カナエの意識は時間を跳躍する――。東京から、かつて住んでいた離島・袖島に家出してきた船見カナエは、時間を遡る現象“ロールバック”に巻き込まれる。乱れた時間のなかで、2年ぶりに再会したカナエの幼馴染である星名あかりが、彼にあるお願いをする。「お兄ちゃんを、救ってほしい」。ロールバックを利用し、数日前に亡くなったあかりの兄・彰人を救うために奔走するカナエ。しかし時間を遡っていくうちに、あかりの秘密が明らかになり……。甘くて苦い二人の春が始まる。


これを読んだ時に「また時間モノか」と思わなかったといえば嘘になります。
ですが、それでも読んでみない事には始まらないですから、とにもかくにもページを捲ってみたところ、基本的な構成要素は、第1作と同じですが、素材までが全て同じというわけでは無く、料理方法も変えているので、嬉しいことに、再生産品を読まされているという感覚はありませんでした。
ベースになる食堂としての味は同じだけれども、第1作と第2作では違う定食を頼んでみたという感じでしょうか。
そこまで大きな違いではなく、焼肉定食とショウガ焼き定食くらいの差異ですが、「こういうのが書きたいんだ」という作者の強い思いが感じられて、それはそれで、悪いものでは無いなと思えました。

時間モノに拘りがあるということだと、梶尾真治というビッグネームが既に存在していて、その高みにまで八目迷が至れるのかどうか、そもそもそれを目指しているのかどうかは、まだ分かりませんけれど。

第1作が「夏」で第2作が「春」ということは、「秋」と「冬」が空いていますね。
作者インタビューを読んだところ、時間ネタでまだ書きたいものがあるそうですから、とりあえず四季を全て書いて4部作とし、その後、別のタイプの作品を書いてみるというのでもいいかもしれません。
とはいえ、それで変な縛りを作者が感じてがんじがらめになり、創作が滞るようなことになるのは望まないので、そんなこちらの勝手な妄想は完全に無視して、書きたいものを書きたいように書いてほしいとも、思っているのですけれど。



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「やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい」 第2巻

 2020-06-06
結構評判が良さそうなのと、個人的に好きなタイプの作品なのではないかという匂いがしたので、先の土曜に「本館」の「雑記」で紹介した第1巻、そして今回こうして紹介する現時点での最新刊である第2巻と、立て続けに読んだのが、芝村裕吏の『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』。

グランドラ王との戦争での功績により、金貨姫フローリンから故郷タウシノの領主に任命されたガーディ。その役職は名ばかりながらも、ガーディの存在を警戒する姫の臣下も現れた。そんな中、ガーディは自身の存在価値を証明する必要から、亜人種や土着勢力が入り乱れるタウシノの平定を名乗り出る。だが、兵士も連れず傭兵も雇わずに味方は無理矢理ついてきたナロルヴァ一人だけ。誰もが無謀な絵空事だと考えた、たった二人の森州平定戦――それは、大軍師が冴え渡る軍略によりその名が歴史の表舞台に刻まれる燦然と輝く偉業の始まりだった――異端のヒロイック・ファンタジー。第2弾!


というのが、今回の粗筋。

本作はタイトル通り、ゆくゆくは大元帥と呼ばれることになるという少年を主人公にしているのですが、大きな特徴の1つとして、交際の世に歴史家が作中の時代を振り返るという体裁で書かれているということが挙げられます。
かつ、底抜けに「優しい」主人公が寡兵に苦労しながら戦術で大軍を破る……ということで、どこか懐かしい感じだなと思っていたのですけれど、今回、第2巻の後半辺りまで読んだところで気が付きました。
これは、田中芳樹の『銀河英雄伝説』でヤン・ウェンリーの活躍を読んでいる時の感覚に近いかもしれません。
もちろんあくまで個人的な感触の話であって、あるいは、いや、おそらく多くの人にとっては「そんなことも無いのではないか」と思う事かもしれないのですが。

表紙イラストを見て第一印象的に感じられるであろうものより、ずっと硬派な作品(もちろん、ラノベらしいコメディーシーンもきちんとありますが)であり、非常に気に入りました。
これは、いい作品です。

そんな『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』。
芝村裕吏のあとがきによれば、(作品の傾向上、それはそうだろうなと思いましたが)本作は事前に事前に膨大な量の年表を作ってから執筆されています。
主人公であるガーディの評伝としての年表というだけではなく、インタビュー記事を読んだ限りでは、主要な登場人物に関してはどうやら数代遡るレベルでの家系も考えられているらしく、徹底的に作りこんだうえで物語を書きだしているとらしいことがうかがえます。
疑似戦記的な作品を書こうというのであれば、そこまでやってこそという風にも思いますし、その拘りは好印象です。

あとは、せっかくそこまで準備された作品であるだけに、その年表を思う存分最後まで書いてもらいたいというところが問題ですよね。
面白いか面白くないかで言えば圧倒的に面白い作品なのですが、売れなければ続巻が出ないのが出版というものです。
特に最近の出版業界を取り巻く環境は厳しさを増していて、かつ、ラノベレーベルからの発売ということも踏まえれば、セールスの数字が悪ければ容赦なく打ち切りになることは確実なので、そこは、かなり気になります。



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bôa 「Duvet」 他

 2020-06-03
以前のエントリーで、アニメ関係でOPやED、挿入曲として使われていたことから存在を知って、そのままお気に入りになってアルバムを全部そろえたミュージシャンとして、the delgados を紹介しました。
今回採り上げた bôa も、それと同様に、アニメのOPになっていたことから、当初はシングルを購入し、やがてアルバムもそろえたバンドです。
ちなみに、そのアニメというのは、1998年に放送された『serial experiments lain』。
海外も含め、熱心なファンも未だに多い作品ですからご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、基本的に、かなりマイナーで一般受けはしない作品でした。
しかし、上記のように根強いファンがいることからも分かるように、作品としての完成度、面白さはなかなかのもので、(それが裏付けとして有効なものかどうかはさておいて)第2回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で優秀賞を獲得してもいます。

というわけで、前置きはさておいて、まずはその、OPになっていた楽曲、「Duvet」の動画を貼ります。



私がこの曲をどれくらい好きかというと、今でもスマホの着信音としてこれを使っていると書けば、多少は納得してもらえるでしょうか。
bôa はイギリスのバンドで、しかしデビューアルバム『Race of a Thousand Camels』は日本のポリスターとの契約で日本でのみ発売されたという、ちょっと特殊な経歴を持っています。
そのデビューアルバムに収録されていたのが、『serial experiments lain』とのタイアップを勝ち取った「Duvet」。
この曲がOPに採用されるに至った経緯というのは、私はよく知らないのですけれども、しかし、作品世界に実にマッチしている名曲で、この曲が流れだすだけで視聴者はすぐに『serial experiments lain』の世界に半強制的に入り込んでしまうという、それだけの力を持っていたので、アニメと楽曲の、最高に幸せな組み合わせになっていたと思います。
無名のバンド、それもイギリスのバンドの、世界デビュー曲といってもいいような曲をいきなりアニメの(それもかなり大々的にメディアミックス戦略を仕掛けてきていた作品の)OPに抜擢した判断は、実に素晴らしい。

なお、この1stアルバムはその後タイトルと曲順などを変えてアメリカで発売。
そのタイトルトラックである、「Twilight」を次に貼ります。





ここから順調な活動が始まるのか、と思いきや、メンバーの脱退だったりなんだったりと、どうやらバンドには色々とあったようです。
結局、次の2曲が収録されている3枚目のアルバム『Get There』を2005年に発表した翌年、彼らは解散しています。






音楽的には、いかにもイギリスのバンドらしい陰の感じられるアコースティックさのあるサウンドで、正直、派手なところはありません。
ポップさもかなり薄いですから、「なんか暗いから好きじゃない」という人もいるかもしれません。
が、個人的には、そこがいい。

なお、一応彼らは3枚のアルバムを残して解散したということになっています。
とはいえ、実質的には、1枚目の『Race of a Thousand Camels』と2枚目の『Twilight』は同一のアルバムと言ってしまってもいいくらいかもしれません(どちらか1枚を買うのであれば、収録曲が多くて「Duvet」のアコースティックバージョン等も聴ける『Twilight』の方をお勧めします)。
ですので、2枚のアルバムのみが、残された bôa の作品であると言ってしまってもいいと私は思っています。
問題は、こうして紹介もしますし、楽曲も素晴らしいですし、個人的にかなりお気に入りのバンドなのですけれど、今からアルバムを入手しようとすると、かなり苦労することになるということでしょうか。
ストリーミングのMP3音源で良ければ、楽に手に入るでしょうけれど……。

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