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「ワン・モア・ヌーク」

 2020-02-29
小説というのは時に強く時代性を帯びることもあって、その時代、その年に、その作品が発表されたこと、そしてそれを読むということに大きな意味を持つものがあります。
それは、その小説の内容やテーマが同時代の出来事や問題や課題といったものに密接に関係しているような場合に特に起こるもの。
そんな作品の1つが、今回紹介する藤井太洋の『ワン・モア・ヌーク』です。

まずは、公式の粗筋を掲載してみましょう。

『核の穴は、あなた方をもう一度、特別な存在にしてくれる』。原爆テロを予告する一本の動画が日本を大混乱に陥れた。爆発は3月11日午前零時。福島第一原発事故への繋がりを示唆するメッセージの、その真意を政府は見抜けない。だが科学者と刑事の執念は、互いを欺きながら“正義の瞬間”に向けて疾走するテロリスト二人の歪んだ理想を捉えていた――。戒厳令の東京、110時間のサスペンス。


まず、舞台となっているのが、東京でオリンピックが開催される2020年、即ち今年であるということ。
そして原爆テロを実行すると予告されたのが、9年前、2011年に東北で発生し、福島第一原発の事故の原因となった震災の起きたその日である3月11日であるということ。
この2点だけを捉えてみても、この『ワン・モア・ヌーク』という作品がどれくらい「攻め」の姿勢で書かれた作品、今この時に読者に対して提示するということにこだわった作品であるかが分かります。

そして本作は、腰巻の帯に印刷された惹句が、また、刺激的でした。
「最後に一度だけ、原爆を東京に。」というのがそれです。

本作は、東京のど真ん中に核汚染をもたらすことをもくろむテロリストの行動とその動機、そしてそれを追う警察とCIA・IAEA職員の姿を群像劇的に描写するものであり、一級のサスペンス、エンターテインメントになっています。
更に、娯楽としての『ワン・モア・ヌーク』を読むことは、即ち、福島第一原発事故後に被災者に向けられた謂れなき風評被害に対する作者からの異議申し立て、放射能に対する誤った知識の流布や偏見といったものに対し、正しい知識をもって冷静で的確な判断をする必要が私たちにはあるのではないかという作者からの問いかけを受け取ることに他ならないのではないかと個人的には感じました。

こういうことを書くと、つまり政治的な主張や思想を声高に訴えかけてくる作品なのかと構えてしまう人もいらっしゃるかもしれませんが、本作の訴えていることは、そういうことではありません。
新潮社の Twitterアカウントが2月28日のつぶやきで「未曾有の事態に直面した時、何より必要なのは正確な情報とリスク評価。東日本大震災と福島第一原発事故で小説執筆を決意したという藤井太洋氏が、“不安”が人命を奪う悲劇に『初めて正面から挑戦できた』という『ワン・モア・ヌーク』」と投稿をしていましたけれど、本作のスタンスをコンパクトにかつ的確に語るのであれば、これが一番分かりやすい説明になるのではないでしょうか。

巻末の解説で中俣暁生はこの『ワン・モア・ヌーク』のことを、「本作は希望についての物語である。」と語っています。
これは、まさにその通りであると読了後の私も実感しているところなのですが、2020年3月6日に始まり、3月10日に終わる、5日間の物語である本作が、どのように「希望」を語るものであるのか、興味がある人は、是非今すぐに購入し、そして、早速本作を読み始めてください。
これを3月11日より後に、あるいは東京オリンピックよりも後に読んだとして、それで本作の持つ力が損なわれるものではないと確信しています。
しかし、ここに示された物語、ここに示されたテーマ、ここに示された希望は、作中時間よりも前もしくはオンタイムで読んだ場合に、そうでないよりも一層の意味を持つと思います。
本作の面白さ、そして特定の思想信条に偏ったようなものではないことについては、(それにどこまでの説得力があるのかはともかくとして)私が保証いたします。



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