「オウリィと呼ばれたころ ―終戦をはさんだ自伝物語―」

 2017-07-29
4月15日に紹介した 『コロボックルに出会うまで 自伝小説 サットルと「豆の木」』 で描かれたより前の時代を題材にした、佐藤さとる の 『オウリィと呼ばれたころ ―終戦をはさんだ自伝物語―』 を読了。

『コロボックルに~』も、今回紹介する『オウリィと~』も、どちらも作者の人生を綴った自伝作品になります。
が、前者は形式上、主人公の名前を変えるなどしてフィクションの体裁をとっているのに対し、後者はあくまで徹底して自伝、という形を守っているのが、それぞれの相違点でしょうか。

なにしろ基本、児童文学の文法が身に沁み付いている人なので、今回も文体などはそれに沿っている感じで、小説の形式にしたからといってあれこれと心理描写をしたり、細かい描写を加えたりをしていないということもあって、ちょっと、要約されたダイジェスト版を読んでいるような気になってしまうようなところがあるのも、両作品とも共通しています。
ただし、『コロボックル~』 に比べると、今回の 『オウリィと~』 はダイジェスト色が薄めに感じられるのは、フィクション性の有無と逆になっていますね。

これはつまり、ほぼ同じ語り口とペースであっても、フィクションであることにすると、その密度に物足りなさを覚えるというのが、私が「物語」に求めているものを透かしているようで、何となく面白いところです。
せっかくの自伝物語であり、ストーリーとして考えても、それなりのドラマチックさもあるのだから、そこをもうちょっとどうかすれば、と思ってしまうのは私が青春小説的なものを好きだからそう考えてしまうというのはあるでしょう。
北杜夫の 『どくとるマンボウ青春記』 とか、畑正憲の 『ムツゴロウの青春記』、高野秀行の『ワセダ三畳青春記』 辺りは、広く読み継がれるべき傑作だと思っていますし。

とはいえ、この『オウリィと~』については、これくらいドライに書いてあるからこそ「味」があるのだ、ということも言えるようにも思えます。
程よい肌触りになっている、と言い換えてもいいかもしれません。

いずれにせよ、若干タイプが異なるのというのはありつつも、この 『コロボックルと~』 と 『オウリィと~』 の2つの作品は、2つでセットなのだと考えて連続して読むべきですね。
できれば、私がやったのとは別の順番で。その方が、刊行順でもあり、内容の時系列にも沿うことになりますから。




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