リア・ディゾンがワンマンライブのアンコールにおいて、黄色い通学帽+赤ランドセル+プリーツのミニスカという格好をしたという記事を目にしました。
…………もしかしてリア・ディゾン、戸川純のファンなのか?

パキスタンでブット元首相が暗殺されたり、日本では福田首相が年明けの内閣改造を示唆したり(だから、閣僚の首をころころとすげかえるな、というのに)と、相変わらず世間は騒がしくなっています。
私はというと、本当についさっきまで仕事をしていたのもあって、今が年末であって明日はもう大晦日だという実感が全く感じられないのが困ったところ。
とはいえ私の体内カレンダーとは全く関係なく2007年は確実に終わろうとしています。
実際、明日には私もアパートから実家に戻る予定ですし。
実家にネット環境がないわけではありませんが、帰省時にわざわざブログを書くつもりはないので、このブログもこれが年内最後の更新となります。
来年も是非、宜しくお願いいたします。

それでは皆さん、良いお年を!

前巻が発売されてから数えて実に4年弱のインターバルを経て、
宇河弘樹の「朝霧の巫女 平成稲生物怪録」5巻が発売になりました。

いやぁ、待った、待った。
連載がどんどんもの凄い方向に転がって物語はテンションを高めて行き、
ついに今年の夏には完結をみたというのに、
コミックスが一向に発売されないというこのじれったさ。
作者の完璧主義の故か、
コミックス化にあたっての修正、再構成作業に手間取っていたのだろうというのが、
これだけコミックス発売が遅れたことに対する大方の見解、なのでしょうか?
しかしまぁ、究極的にはそんなことはどうでも良いのです。
私としては、こうして無事に続巻が発売になってくれたこと、
そしてこれから後も引き続き6巻以降が無事に出てくれそうなこと、
それだけで、もう満足です。

この5巻には「ヤングキングOURS」平成16年2月号〜11月号掲載分が収録されており、
忠尋が山に呼ばれて神隠しとなり、彼が生まれたときに天津家を襲った悲劇が語られます。
ラブコメあるいは萌えマンガの殻をかぶっていた為に、
表面からは隠れていた本作の本性が満を持してゾロリと這い出たのが、
今回の冒頭を飾る第十六話「神隠し」㊀。
連載時にこの回を目にした時、「来た!」と思いましたよ、私は。
この、背筋をぞくぞくさせるような、生理的嫌悪を起こす一歩手前の圧倒的なビジュアル。
線の粗さがマイナスに働かず、逆に作品に土着的なイメージを与えています。
ああ、作者はこれがやりたくてこの作品を始めたのだな、とその瞬間、確信したのです。

そうしてその後繰り広げられたのは、ハードでダークな一大伝奇絵巻。
この5巻に収められた辺りから大きく舵を切って転がりだした物語は、
そのままアクセルを緩めず床ベタのままでラストまで駆け抜けます。
ちなみに、作者は現在も全9巻の構成で加筆修正作業続行中であり、
次ぎの6巻はどうやら来春発売予定の模様。
作者にはこの際、存分に手を入れて、思うようにこの作品を描き切ってほしいと思います。

タモリ倶楽部の「空耳アワー」ではないですが、この曲はこういう歌詞だと思って散々鼻歌を歌ってきたものが、いざCDを買って歌詞カードを読んでみたら全然違っていたということがありますよね。
私にとって、佐野元春の「霧の中のダライラマ」という曲がその一つで、これは1分という演奏時間中ずっと同じ歌詞、同じフレーズを繰り返している曲なのですけれど、私はそれを「霧の中のダライラマ 迫るシャーマン シャーマン シャーマン」だと思っていたのです。
つまりビジュアルイメージとしては、「霧深いチベットの山中で修行に励むダライラマのところに、彼の精神統一を阻むべく、色っぽいシャーマンが誘惑をかけてくる。危うし、ダライラマ!」というような感じ。
ところが、このたび同曲が収録されたアルバム「フルーツ」を購入して愕然としました。
この曲の歌詞、正しくは、「霧の中のダライラマ シャンバラ シャンバラ…」というものだったのか!
兄の所有するCDをカセットテープに落としてもらってから10年あまり、ずっと間違えて歌っていました。
これはもう、ダライラマと佐野元春にお詫びしなければなりません。妙な勘違いをしていて、申し訳ありませんでした。

ちなみにこの「フルーツ」、名盤です。
佐野元春が長年活動を共にしてきたバンド THE HEARTLAND を解散し、母の死を経て1996年に発表したものなのですが、非常にカラフルでポップな極上のアルバムになっています。
収録された17曲の全てが、ここまでキラキラとした輝きを放っているアルバムというのも、そうないのではないでしょうか。
まさしくアルバムタイトルの通り、フルーツが山盛りの籠を目の前にしているようです。
佐野元春も肩の力をすっきり抜いて製作したのではないかという印象を受けるのですが、一方で、このサウンドは何気にかなり作りこまれているようにも感じられます。
本作を製作した時に佐野元春がどう思っていたのか、実際のところはどうなのでしょうね。
いずれにせよ、こうして実際に発表されたアルバムを聴いて自分がどう感じるか、とどのつまりはそこが肝心なわけで、極論ではありますが、そういう意味では、製作したミュージシャンがどういう意図を持っていようと関係ないとも言えます。
私としては、これを聴くといつも楽しく朗らかな気分になれるので、この「フルーツ」は、数あるコレクションの中でも大好きなアルバムの1枚なのです。

今回のエピソードにおいて最も重要なセリフは、おそらく刹那が呻く様に吐き出した「俺は……ガンダムになれない……」でしょう。
彼にとってガンダムとは何だったのか、何を象徴するものだったのか、第1話のアバンタイトルで描かれたことも合わせ考えると、以前に刹那が言い切った「俺がガンダム」発言の意味も見えてきたような気がします。

で、別の意味で多くの視聴者にとってポイントとなったであろうセリフが、グラハム・エーカーの「敢えて言わせてもらおう、グラハム・エーカーであると!」か「人呼んでグラハム・スペシャル!」。
……相変わらず飛ばしていますね、グラハム。
しかし、その自意識過剰とも思える発言に見合うだけの技量を見せてくれた回でもありました。
案外、ああして大口を叩くことで自分を鼓舞する必要が彼にはあるのかもしれません。
実は結構な小心者で、その裏返しでああいうポーズを取っているとか。
もちろん、全て私の勝手な空想ですが。

しかし、私が一番ツボだったのは、太陽光発電受信アンテナに向けてミサイルを放ったアリー・アル・サーシェスが言った「ところがぎっちょん!」だったりします。
久し振りに聞いたなぁ、ところがぎっちょん。
すっかり死語の仲間入りをしているものと思っていましたが。

さて、肝心の今週は刹那に焦点を合わせた回となっていました。
保守派の企てたクーデターの裏には戦争の勃発を望むPMCの姿がありましたし、ユニオン軍が展開したのは、アザディスタンの現体制防衛の為というよりは、半分以上、政情不安なアザディスタンの内紛に介入してくるであろうガンダム目当てのようです。
とりあえず、今回の話は年明け1月5日放送の第13話に続くようですし、細かいところなどは、そちらも見てから考えたいと思っています。
世間はクリスマスですが、私はそれとは全く関係なく仕事に追われて疲れてしまっており、ちょっと、まともに頭が回らないものですから、お許しください。

仕事の時でもプライベートの時でも構わないのですが、
例えば誰かと会っていて、
「いつもと比べて多く(あるいは大きく)○○だった」
という趣旨の話をすることがありますよね。
そんな時、大体の場合において自分が次の表現を使ってしまっていることに、
この間ふと気がつきました。

「通常の3倍○○」と。

これは誰がどう見ても明らかに、ガンダムのせいです。
念の為に申し上げますが、
決してネタとしてそのような表現を使っているわけではありません。
あくまで、ごく普通に一般的な会話をしているのにも係わらず、
無意識のうちに「通常の3倍は疲れました」などと口走ってしまっているのです。
どうやら私の中で、頻度や程度が普段より増している場合には、
「通常の3倍」と形容するということがデフォルトとして設定されてしまったようです。
仕事の場でもそれは変わらず、気がつけば「通常の3倍」と言ってしまっているのは、
正直、社会人としてどうなんだろう?

ガンプラを求めてエスカレーターで将棋倒しになっていた私達も働き盛りになり、
様々なビジネスの様々な局面で活躍し始めている今、
「通常の3倍」という表現はTV等でもしばしば耳にするようになってきています。
これはもう、私達の世代の共通言語として常套表現になっているのかもしれませんが、
とはいえ、世代を超えて一般化したとまでは、さすがにまだ言えませんから、
今後、特に仕事のときには、赤い彗星の呪いが発動しないよう、
意識して気をつけていかなければならないかな、と思っています。
何だか、あと十年もしないうちに金田一先生が慣用句として取り上げてくれそうな、
そんな気もしますけれども、ね。

昨日の15日、恵比寿のLIQUIDROOMでソウルフラワーユニオンの年末恒例のライブを観てきました。
ソウルフラワーユニオンの音楽を楽しむにはCDで聴いてもいいのですが、
非常に直感的、肉体的なサウンド故、やはりライブに行って生身の体で感じることが一番です。

ボーカルの中川敬は風邪をひいてしまって体調も喉も本調子ではない、ということでしたが、
いざライブが始まると、そんなことを感じさせない熱いパフォーマンス。
その圧倒的なグルーヴ、
「同じ阿呆なら踊らにゃ損」なゴキゲンさ、
このパワーはどこから来るのでしょう。

たまたま直前の時期が、ちょっとした特殊事情により仕事がひどくバタバタとした時期で、
少しづつながら、しかし無視できない程度にストレスが溜まっていたのもあり、
今回のライブではいつもの壁際をやめてフロアの中央でサウンドに身を委ね、
踊りまくってしまいました。
あるいは、普段の私を知っている人がその姿を見たら、
いつもとかなり違う様にとまどいを覚えたかもしれませんが、
そりゃあね、職場でそんな姿を晒すわけは、ないですから。

代表曲をメインに構成されたというセットリストには、
嫌が応にも会場は大盛り上がり。
どの曲も最高だったので順位付けも難しいのですが、
今回はアルバム『WATATUMI YAMATUMI』収録の「もものけと遊ぶ庭」が聴けたこと、
サポートメンバーの上村美保子が歌った「パダンパダン」が素晴らしかったことが印象的でした。
あ、「もっとおっぱい」も演ってくれると、もっと嬉しかったかも。
そうならば100点満点で200点のライブが210点になったのに、というレベルの話ですけれど。

前回に引き続き、沙慈とルイス、邪魔。
これはやはり、毎回彼等のシーンを挿入するというのをシナリオ作成上の決まり事、しばりにしているということなのでしょうか。
このシーンがあるが為に、前回も今回も、せっかくの緊張感が損なわれてしまっています。
息抜きとしての日常シーン、ソレスタル・ビーイングの戦いも所詮世界の片隅で行われていることに過ぎないということの描写、なる程、それ等も必要でしょうが、何でもかんでも挟みこんでおけばいいというものではありません。
しかし、上記のようなお約束があるのであれば、これからも必ず1話に1回は彼等のシーンが出てくるのでしょう……少々うざっといかも。

肝心の今回はというと、アレルヤの過去に絡んで、人革連のコロニーにある超人機関の施設をソレスタル・ビーイングが襲撃する話でした。
アレルヤ、やはりと言いましょうか、かつて超人計画の被験者だった過去の持ち主でした。
同じ施設、同じ技術で肉体改造を施されたのであれば、ソーマと共鳴のような状況に陥ったのも、まぁ、むべなるかな。
肉体改造の過程で生まれてしまったアレルヤのもう一つの人格、ハレルヤとの会話はなかなか刺激的でスリリングなものでした。
特に「立場で人を殺すのか」という問いかけは、いいセリフだったと思います。
立場が人を型に嵌め、その行動を制限する。
そんな事例は世の中に幾らでも転がっています。
例えば、閣外にいる時には(出演したTV番組などで)ズバズバと自分の主張を述べていたのに、ひとたび閣僚になって以降は奥歯に物が詰まったような言い方しかしない某政治家のように。
アレルヤがガンダムで攻撃しようとしている施設の中にいる被験者の子供達は、かつての自分と同じ、超人機関の行っている実験の犠牲者です。
そしておそらくその中には、自ら望んで被験者となった者はいない。
そんな彼等を施設ごと葬るにあたって、その理由として、自分がソレスタル・ビーイングの実行部隊であるからだとするのは言い訳に過ぎないというハレルヤの指摘。
立場や組織が現場に出向いて人を殺すのではなく、実際に銃を撃つのは誰の指であり、誰の意思なのか、という問い。重いですね。
作戦を終えてプトレマイオスに戻るキュリオスのコクピットで涙を流すのは、ハレルヤ?
単なる快楽殺人者なわけではないよ、ということでしょうか。

今回は本筋以外でも(沙慈とルイスのシーン除く)興味深い展開が多い回でした。
人革連トップがひそかにAEUとの接触を図っているとか、イオリア・シュヘンベルグからソレスタル・ビーイングの謎に迫ろうとするアプローチに動きが見えてきたとか。
そんな中でも一番気になったのは、何といってもティエリア。
スメラギとアレルヤの会話の内容を、ヴェーダと直接リンクして確認していたようですが、そんなことができるという時点で、やはりティエリアも普通の人間では無い、ということがはっきりしました。
スメラギはスメラギで、人間だから失敗もある、などと吐いていましたが、人革連の作戦意図を読み違えたことがショックだったにせよ、あなたがそれを言ってしまってはお終いだろうに……。
彼女もまた、打たれ弱さをさらけ出した1人ですね。
ここ数回、ソレスタル・ビーイングのメンバーが次々と弱さや未熟さを見せており、その一方で彼等と対峙するセルゲイ(と、グラハム・エーカーも一応加えておきましょうか)のブレの少なさが目だってきました。
コーラサワーはどこに行った、というのはさておき、やっぱりこれは、来るべきソレスタル・ビーイング崩壊の予兆と見るべきなのでしょうか?

ともあれ、次回は主人公(であるはずの)刹那の過去、思想教育を受けた少年兵として戦っていた頃が描かれるようです。
放送を楽しみに待たせてもらうとしましょう。

2007.12.14 2007年の漢字
大方の予想通り、
日本漢字能力検定協会が定める今年の漢字は「偽」になりましたね。
意外性も何もありませんが、
つまりそれだけ、この2007年の日本列島には「偽」が溢れていたということ。
ただし、今回の候補の中でいえば私は、
「偽」よりも「嘘」の方が、今年にはふさわしいのではないかという気がします。
こう、実も蓋もないというか、しょうもない感じが、
良く出ているように思うのですよね、その方が。

もちろん、しょうもないと笑って済ませられるような事態では無いのは承知していますけれども、
ここまで色々なところから色々なことが噴出して来てしまうと、
怒るだけ怒った後に訪れる虚脱感のような、気が抜けた感じになってきてしまって、
その気分はまさしく、しょうもない、というのが適切な感じなのです。

ティエリアもまた、癒しがたい過去の傷を持っていたようですね。
このタイミングでガンダムナドレの姿を晒してしまったことにより、ソレスタル・ビーイングが本来描いていたシナリオが大きく狂ったと自分を責めるティエリアの一人称が、「俺」→「僕」→「わたし」と変化していきました。
この事実の意味するところは何なのでしょう。

最初は、あるいは幼児退行でもしたかとも思ったのですが、それでは最後の「わたし」に対する説明がつきません。
ミスを冒した者は容赦なく非難し、敵に捕らわれた者は例え仲間であろうとも機密保持の為にガンダムごと世界から消し去ろうとする冷酷さ、冷静さを持つティエリアも、ひとたび自分がミスしてしまったときにはあっさりと精神的な弱さを露呈する。
ガンダムマイスターは4人とも選ばれた存在のはずなのに、王留美ではないですが、これでは苦言も呈したくなる。お寒い限りです。
唯一まともそうなロックオンも、家族の命を奪ったというテロがどのような傷をその精神に残しているのか、この調子では分かったものではないのかも?

1クールも残すところわずか。
放送回数も2桁に入ったことですし、そろそろ設定紹介、キャララクター紹介的な話は終わらせて、人間のドラマを語ることにシフトを移してほしいところです。
魅力的なドラマがあればこそ、毎週チャンネルを合わせる気にもなるものですから。
前回と今回で描かれた人革連の作戦と、それに対して来週アレルヤが起こすアクションが、ここまで不足してきたドラマ要素の起爆剤となり得るでしょうか。
実は段々と「物語」に飢えだしてきているので、ここらでそれを解消してくれよ、と思うのですが、だからといって、マリナと刹那の出会いの時のような安直で無茶な展開は勘弁です。
場合によっては「ガンダム00」という作品全体の評価を左右する重要な時期に差し掛かっているということ、スタッフはさすがに理解しているのでしょうけれど……。

ところで、沙慈とルイスそしてルイス母の会食シーンは、今回の中身からは全くの邪魔でしかなく、あれを挿入することの必要性が、私にはさっぱり理解できませんでした。
仮に沙慈が、今後非常に重要な役割を担う予定のキャラクターだったとしても、この第10話に彼を出さねばならない理由は、無かったのではないでしょうか。

渋谷のO-WESTでZABADAKのライブを観てきました。
今回のライブは総勢7名の大編成。
メンバーは気心の知れた盟友達であり、しょっぱなから展開が複雑で変拍子の多いプログレ色の強いナンバーが続きました。
テクニックのあるミュージシャン達だからこそ可能な演奏でしたし、そんな彼等でも曲に入る時には緊張せずにはおれないような、そんな凝りまくった構成の曲は、生で聴くと本当に圧倒されます。
詳しい感想は本館の方を次に更新するときに書こうかと思っていますが、仕事がめちゃくちゃ忙しい最中、何とか時間を作って会場に行ったこと、大正解でした。
明日からはその分だけ立て込んでしまいますが、このライブを聴けたのであれば、全く問題なし、です。

今年の紅白歌合戦の出場者が発表になりました。
毎年迷走を続けている紅白ですが、ラインナップを見てみると、
今年もそれは変わっていないようですね。
大晦日の定番番組だった昔日の栄光を取り戻そうとしているのは分かりますが、
そろそろ、紅白という番組自体の存続も含め、
根本から在り方を考え直してもいいのではないかという気もします。
まぁ、所詮は部外者が気楽に言っているだけのことですが。
いずれにせよ、どうせ私は観ないと思いますし。

それよりも、現在の仕事の状況を考えるにつれ、
果たして今年は実家に帰省できるのがいつになるのか、
そもそも帰省できるのかどうかも不安になってきさえしているということの方が、
私にとっては余程、大問題かも。
忙しさに追われていたら、新規記事を投稿しないまま、いつの間にか一週間が過ぎてしまいました。
この別館では、多少はマメに更新して週一更新の本館との差別化を図ろうと思っているというのに、ままならないものです。
事情が事情なので、仕方がない部分もあるのですけれど……。

さて、「ガンダム00」です。

ソレスタル・ビーイングにも深く係わっているらしきアレハンドロ・コーナーは国連大使ですか。
先週にあれだけ無茶な展開を見せられたときには、どうしようかなと思ったものの、分担金不払の話をさらりと出す辺り、本作の、300年後の世界に付託して現代の問題を語ろうとするスタンスは変わっていないようですね。
国連といえども国家の利益を追求する場ですし、その辺も含め、コーナーがどこの国の人間でどのような立ち位置にいるのか、ちょっと興味をかきたてられます。

そして宇宙では人革連による対ソレスタル・ビーイングの作戦が開始。
この作品において一番格好良く軍人らしいセルゲイ・スミルノフが大活躍を見せます。
スメラギ(当時は九条?)の過去にあったという一件に、もしかしたら彼も係わっていたのかもしれませんね。
今回、プトレマイオスのクルー達の打たれ弱さというか、受けに回ったときのもろさが露見しました。
AEUにしろユニオンにしろ、このままいつまでも黙っているとは思えませんし、人革連の戦い方を観れば、ソレスタル・ビーイングと対峙するのに何が効果的なのかは分かるはず。
現在は使用している機体の圧倒的な性能差ゆえに優位に立っているソレスタル・ビーイングですが、そろそろ、その優位性に綻びが出だしたような感じでしょうか。

ロックオンとフェルトの間にちょっとした交流もありました。
兄さん、相手は14歳だから、おかしなことを考えちゃ、いけませんぜ。
彼がテロで失った家族の中に、あるいはフェルトと同じような年代の妹でもいたというところかもしれませんけれど。
こういう流れでお互いのプライベートを語るのであれば、それなりに自然に感じられるのに、前回のアレは……。
かえすがえすも残念です。

ロックオンといえば、アバンタイトルで登場していたそっくりさんの存在も気になります。
彼は何者なんでしょう。

他方、クリスティナの方は人革連の攻撃にさらされるプトレマイオスの中で、アレルヤの名を呼んでいます。
なる程、刹那とロックオンでは、当てにならないということですか……という冗談はさておき、まぁつまり彼女はアレルヤに好意を抱いているのでしょうね。
この要素を今後どのようにドラマに絡めてくるか、それともあまり絡めないのか。
いずれにせよ、リヒテンダール君の想いはむくわれないままになりそうですね。