FC2ブログ

ついつい、こんなことを考えてしまう……

 2020-06-11
夏の甲子園の開催中止が決まってそろそろ1ヶ月。

これまで練習を共にしてきた仲間たちとの高校生活の最後の大会が無くなる3年生に対しては、確かに可哀そうだなと同情する部分はあるのですが、しかし、3月くらいからのコロナ禍の状況を考えれば、開催をする方が無理というものでしょう。
で、これを受けて、球児への救済というと語弊があるかもしれませんけれど、東京都を始め、いくつかの都道府県では、せけて都道府県内の1位を決める独自の大会を開こうという動きがあります。

それは、まぁ、いいのです。
3密をどう避けるか、ワクチンや治療薬の開発もまだな現状、大会開催がクラスター感染を生むようになってしまっては仕方がないのですけれど、そういう大会を催すことで世の中が前向きな気持ちになれるという効果もあるでしょうし、再度の感染拡大に気を付けてやってくれれば、特に文句を言うような筋合いのものではありません。
が、ここで気になるのは、野球ばかりがクローズアップして語られる現状です。

夏の甲子園の前にインターハイも中止が発表されていましたし、運動系の部活だけを見ても、野球以外のあらゆる種目の全国大会が中止されたのですから、野球のみを特別視するのは、ちょっと違う気がします。
確かに、インターハイと甲子園では、主催する団体も違えば大会の性格にも異なるところがあることは間違いありません。
それはそれとして認識するとしても、でも、野球ばかりを取り上げて、救済の大会を開くというのも、それはそれで野球贔屓が過ぎるのではないかという風にも思ってしまうんですよね。
やるのであれば、インターハイの各種競技も含め、全ての種目について、個別の都道府県大会を開くべきだろう、それでこそ教育的に公平というものだろう、と。
これが屁理屈な理想論であることは。認めます。
ただ、野球そのものは私も好きで、例えばプロ野球の中継放送も毎年それなりに鑑賞している身ではありますけれども、今回の一件で、野球ばかりをことさらに取り上げて語ることには違和感を禁じえなかったということなのです。

更に言うならば、これは運動部の話に限らず、文科系の部活動でも同様のことは起きているのであり、一例をあげるならば、秋の全日本吹奏楽コンクールが中止されるなどの状況が発生しています。
そこまで話を広げていくと収拾が付かなくなるのでこの辺りで止めておきますが、可能であれば、注視になったすべての学生大会が、どこかで代替開催できるようになればいいのにという、今回はそんな話でした。

タグ :

5月もまもなく終わりますが

 2020-05-28
日々報じられる新規感染者数の様子を見ていると、東京都でも新型コロナウイルス感染症問題はとりあえず落ち着いてきたと見えるこの頃、良くも悪くも、日常が戻りだしていますね。
朝の通勤時間の電車しかり、街中しかり、少しづつ人出が戻ってきているのは、そのことだけを見るならば良い事と捉えてもいいと思いますけれど、ここで油断をして何でもかんでも野放し状態、緩みっぱなし状態になってしまうと、せっかく抑え込み始めている感染が再度拡大を始めてしまう恐れがあることは、ここでわざわざ私が書かずとも皆さん分かっているでしょう。

それでも、ここまでの自粛生活で鬱屈したものは多かれ少なかれ誰しもが抱いているのだから、どうしたって解放的な気分になりがちなのは、避け得ない人の性というものであるのは否めません。
タガが外れたような行動に出ることを正当化しようというのではありません。
けれど、タガが外れてしまいがちなことは、事実として認め、向き合わなければならないことの1つです。
そこでどこまで自制して、再度の感染拡大を皆で防いでいくことができるか。
相変わらず、私たち日本人は(更に言うならば全世界全ての人達は)試され続けています。

では、「誰」が我々を「試す」のか。
ここでもしも私が宗教家だったりするのであれば、「神」だとか「運命」だとか言えるのかもしれません。
ですが、あいにく私は、神社にお賽銭を入れて健康その他を願うというような習慣としての寺社仏閣参りはしていても、どちらかといえば無神論者に属する方です。
なので、この場合の「裁き手」あるいは「判定員」は、「未来の可能性」である、とでもしておきましょう。
ここでうかつな行動に出て、再度コロナの感染拡大を招いてしまうことは、私達の、そして自分自身の「未来」を損なうことに繋がりますから、つまり、今の時点でどういう行動を取るのか、私達は未来の自分達、そして未来の子供達に問われている、試されているというわけです。

我ながら、言っていることがかなり綺麗ごとですけれど……
ともあれ、もう1ヶ月~2ヶ月くらいは、慎重であったり、自主的制限を課していたりする行動を継続するつもりです。
気晴らしのライブとか、本当は行きたいところですけれども、ライブハウスには都の休業要請もありますし、まだまだ我慢、ですね。


タグ :

記録しておきたいという意欲はあります

 2020-05-19
パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』の感想を以前にここで紹介しましたが、ああいうのを読むと、私も2020年に世界を襲った感染症渦について、何かしらの形で作品を書かなければいけないのではないか、という気がしてきます。

もちろん、私が書くものなんて、それがエッセイにしろ詩にしろ小説にしろ、プロが書いたものと比べると評価の対象にもならないようなレベルであることは間違いないのですが……
それでも、一応、この時期を、緊急事態宣言下の東京で過ごした者として、完全に趣味でやっているだけであり出来栄えも拙いものであっても、何かしらの表現物を作っている者として、これは、何かを記録しておく必要が、私が何をどう感じ考えていたのかを形にしておく必要があるのではないか、なんてことを、厚かましくも思ったりしてしまうのです。

が、さて、じゃあ何をするのか、というところに思考が至ったところで、具体的なものが何もひらめいていないのが実情だったりします。
今のところ、散文詩にでもするのが一番アリなのかなとまでは思っているものの、その為の言葉が、まだ全然出てきていないんですよね。
こういう段階で無理やりひねり出そうとしても、仕方がないのかな、自らの内から言葉が湧いてくるのを待たなければ駄目だろうなとは考えていますし、締め切りがあるわけでは無いので、焦るようなものではないのですけれど。

これは、あるいは、年内くらいに何とかする、という方向で構えているのがいいのかもしれません。
10代~20代の頃は、もっと簡単に言葉が浮き上がってきたものだったのですが、これが感性の摩耗とか鈍化とか、そういうことでなければいいなぁと、そんなことを考えて、昨日はちょっと落ち込んだりもしたという、そういう、私以外にはかなりどうでもいい、つまらない話でした。
タグ :

青空に鯉のぼり

 2020-05-05
コロナ問題、緊急事態宣言の中にある私達は、外出を協力自粛して、どんなに晴天で風も穏やかで温かい「お出かけ日和」であっても、なるべく自宅・自室に引きこもることを心がけるGWを過ごしてきました。
読書にしろ音楽鑑賞にしろ執筆にしろ、インドアでの趣味、やることには事欠かない私でも、さすがにこれだけ閉じこもっているとジリジリしてくるのですから、そうではないようなタイプの人にとっては、非常にキツい日々であることは、想像に難くありません。
けれど、ここが我慢時。
ここで耐え切ることをしないと、日本の感染者数はそれこそヨーロッパやアメリカのように指数関数的に増えて行ってしまい、手は付けられなくなるでしょう。
ならば私達としては、どれだけ退屈でも、じれったくても、ここはじっと「我慢の子」になるだけですよね。
ここで辛抱することで、コロナウイルスの感染拡大がなるべく早く収束して、来年の今日、端午の節句には、この写真のような風景が普通に見られるようになってほしいものだなぁという思いから、今回は、2015年の5月に「本館」の Topページに掲載した写真を、ここに再掲してみました。
同年の4月末に浅草寺で撮影したものです。
こういう景色を心穏やかに見られる日が少しでも早く来るよう、皆で協力して、この難局を乗り越えましょう。



タグ :

ふと気になったのですが

 2020-04-16
各地の学校の休校は、まだまだ続きそうです。
新型コロナウイルスの今の状況からすれば当然の判断ではありますが、開始が遅れるということは、必然的に終わりもその分だけ遅れるということを意味します。
その科目の単位が認定されるためには一定の回数の授業が行われなければならないわけで、始まるのが遅い場合は、それをきちんと消化しきるのもその分だけ後ろにずれていってしまうことになります。
つまり、1学期が終わるのが例年と違い8月にまで食い込んでいってしまうことが、容易に想定されていくわけです。
場合によっては「夏休み」が一切無いまま、次の週には2学期が始まるというケースもあるかもしれません。

これは不条理だというように感じらる方もしれません。
しかし、一定の時間をかけて既定の項目を教えた事実がなければ単位が得られないのは、別に変な話ではありません。
むしろ当然のことだと言えるでしょう。

それに、日数が足りないのに単位を認定することを「良し」としてしまった場合には、規定の授業を受けて単位を得ている人と不公平が生じることにもなります。
履修すべきとされている内容をちゃんと教わり、理解度も確認されて(つまり試験を受けて)単位を取得した人と同じだけの知識や理解があるという前提で扱われることになるのは、その生徒にとってむしろ将来的にマイナスな方向にもなりかねないという懸念も出てきます。

以前に高校で、必履修科目の未履修であったり授業時間の不足であったりが発覚して、そのままでは卒業を認めることができないということになり、大問題となったことがありましたよね。
それを覚えているという人も、いらっしゃるのではないでしょうか。

ではそうするべきなのか。
もちろん、全てはコロナ問題が落ち着かなければ検討もできないことではあります。
けれど、いずれにしても、どこかのタイミングで少なくとも義務教育に関しては何らかの特例的措置を打ち出さなければ、どうしようもないかもしれないですよね。

タグ :
≪ 前ページへ ≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫