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「コルヌトピア」

 2020-07-04
2017年の第5回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作である津久井五月の『コルヌトピア』が6月に文庫化されたのを、読了。
一般書籍発売の時から「これは読んでみたいな」と思って、文庫化をずっと待っていた作品です。

2084年、人類が植物の生理機能を演算に応用する技術「フロラ」を生み出した未来。東京は23区全体を取り囲む環状緑地帯により巨大な計算資源都市へ発展していた。フロラ企業に勤める砂山淵彦は、とある事故調査の過程で天才植物学者の折口鶲と出逢う。若者たちを通して描かれる、植物と人類の新たなる共生のヴィジョンとは?SFコンテスト大賞受賞作、本篇のその後を描いた中篇を追加して文庫化。


というのが粗筋で、当初の単行本版における、東京都庁が緑に包まれている表紙イラストを見た時に私は、植物の海に沈む東京というイメージから池上永一の『シャングリ・ラ』を連想したりしていました。
とはいえ、この粗筋からも分かるように、実際の内容は結構違いますね。

現在のコンピューターを大きく超える計算能力、処理能力を持つシステムものをガジェットとして使うSF作品は、それこそ腐るほどありますが、この『コルヌトピア』が持ち出してきたのは、植物を使ったネットワーク。
かなりイメージが掻き立てられる設定で、それだけで白米が2合くらい食べられそうです。

で、そのような世界設定の下に描き出される物語がどのようなものなのか、なのですが、全体的に少々淡白な印象があるのは否めません。
作者の文体が抑制のきいたものだからということはあるのかもしれませんが、ドラマとして何か大きなアクシデントやカタストロフィーがあるわけではないというのも、理由としては大きいでしょう。
これはこれで作品には合っていると感じられますし、そこまで大きなマイナスになっているというわけではないのですが……
本作の中で描かれている未来の東京の姿が、私の頭の中でもっと爆発的に繁茂してくれて、次から次に湧き出てくるイメージの海に揉まれるような体験ができたらもっと良かったかも、と思ってしまうのは、もしかしたら無意識のうちに『シャングリ・ラ』と本作とを比べてしまっているからかもしれません。
だとすれば、作者の津久井五月さんには非常に申し訳ないという気にもなってきます。
作品の傾向も想定される読者層も、ほとんどの要素が大きく異なる2つの作品をそのまま比較するのは、私の脳内でのこととはいえ、フェアではないですからね、やはり。

なお、本作は文庫化にあたって書下ろしの中編を追加したとのことなのですが、本編が約170ページなのに対し、続編的な立ち位置になる書きおろしが約80ページあるので、単行本版と比べると随分とボリュームが増したと言えそうです。
その意味では、文庫化を待っていて正解だったのかもしれません。
出版社的には、そんなに嬉しくない話かもしれませんけれど。

で、この書下ろしの「蒼転移」が、かなり私の好みの話で、これがあると無いのとでは、本作に対して抱く感想も随分と変わってきたのかもしれないとも感じています。
なので、ここでは「蒼転移」込みで「コルヌトピア」であるという認識でこの感想を締めるとしましょう。
上記のような、ちょっと肩透かしをくらったような感はありましたけれど、本作で描かれた東京のイメージは鮮明なものがありましたし、結構刺激もあって、良かったです。
物語に派手さを求める人には合わないでしょうが、何気に、お勧めかも。



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「下北沢インディーズ」

 2020-06-20
最近になって、岡崎琢磨の未読作品にも少し手を出していこうかなという気分になってきたので、まずはこの辺からと購入してみたのが、インディーズバンドを取材する新人の音楽雑誌編集者を主人公にした『下北沢インディーズ』。
公式の粗筋は、以下のようになっています。

まぶしくて、切なくて、最高に愛おしい、バンド×青春ミステリー!音楽雑誌で、インディーズバンドを発掘するコラム連載を任された新人編集者の音無多摩子。優れた耳を持つ、下北沢のライブハウスのマスター・五味淵龍仁の紹介でバンドマンたちを取材する多摩子だが、思いがけない事件に遭遇し――夢が転がっている街・下北沢で、音楽に情熱を注ぐ者たちの、熱く、ソウルフルな物語。


要するに、下北沢辺りのライブハウスで活動しているバンドを題材にして、その中で生じる「日常の謎」系の事件、例えば機材の破損だったり楽器の盗難だったりというような問題を、雑誌記者が(ライブハウスのマスターの力を借りながら)解決していくという作品になります。
日常の謎+お仕事小説という形式であり、ライトミステリーとしては売れ線なところをベタに狙ってきたと言えるでしょう。

こういうベタな路線は、そのジャンルの作法を守っていれば作品として破たんすることは無いですよね。
なので、あとは若干のオリジナル要素を入れるか入れないか、「日常の謎」の「謎」の部分が面白いものになっているかいないか、登場人物たちのキャラクター設定が魅力的なものになっているかいないか、というようなところで、作品の評価が決まっていくと思います。

その観点から『下北沢インディーズ』を見てみるとどうなのか、ですけれども、概ね手堅く書かれていますし、まずまず面白かったので、佳作と評していいのではないでしょうか。
本作ならではのオリジナルの部分は、おそらく岡崎琢磨自身や編集の狙いとしては、音楽雑誌編集のインディーズバンド取材という題材と、インディーズならではの事情というところにあるのでしょうが、そこにはそこまでの新鮮味は感じられず。
とはいえ、一切の手垢がついていない、過去に小説の題材になったことが全くないような職業で、かつ、この手のライトミステリーの題材にも適しているようなものというのも、それが現状どれくらい残されているのだろうかと考えれば、ちょっとくらいの既視感はやむを得ないとも言えそうです。

そういったありきたりさはアレですが、驚きはないけれども、事前に期待するレベルの面白さはしっかりと提供してくれる、悪くない作品でした。



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「破滅の王」

 2020-06-13
兵器としての運用を見込んで研究・開発されていたウイルスの漏洩による感染拡大という点で共通点もあるし、小松左京の『復活の日』を読んだのであれば、次はこれを読まなければと思ったのが、上田早夕里の『破滅の王』。
単行本発売の時から、これは文庫落ちしたら是非読んでみたいなと興味を覚えていた作品です。

この文庫、小さめの活字を使って1ページ当たりの文字数を多くし、挿絵も使わずになるべく厚くならないように気を使っているようですが、それでも結局500ページを超すボリュームとなっている、つまりは相当の大作になります。
現時点までに読んできたこの人の作品は、どれも結構な力作で読みごたえも十分だったのですが、そのせいか、上田早夕里の著作であれば、これくらいのボリュームがあるのは、それは別に普通なことなのではないかと感じらてしまったりもするのは、「慣れ」というのは怖いものだという話ですね。

一九四三年、上海。「魔都」と呼ばれるほど繁栄を誇ったこの地も日本軍に占領され、かつての輝きを失っていた。上海自然科学研究所で細菌学科の研究員として働く宮本は、日本総領事館からある重要機密文書の精査を依頼される。驚くべきことにその内容は、「キング」と暗号名で呼ばれる治療法皆無の細菌兵器の論文であり、しかも前後が失われた不完全なものだった。宮本は、陸軍武官補佐官の灰塚少佐の下で治療薬の製造を任されるものの、即ちそれは、自らの手で究極の細菌兵器を完成させるということを意味していた――。


というのが粗筋ですが、本作はジャンル的には第二次大戦の中国大陸を舞台にした歴史謀略サスペンスということになるでしょうか。

第二次大戦、日本軍、細菌兵器ときたら、どうしたって関東軍防疫給水部本部(七三一部隊)のことを連想せずにはおれないわけですけれど、もちろん、当然のようにソレは作中に登場します。
そこで書き手の政治的な思想を濃く入れるか入れないかは、それぞれの作家の趣味や考え方次第ですが、本作における上田早夕里はその点では後者より。
むしろそこを主張するよりも、もっと普遍的なヒューマニズムや、組織の中の人の在り様とか、戦時下という特殊な状況下であることが起こしてしまう感情の麻痺といったようなものの方に焦点が合わせられている、かな。
本人の実際の政治的信条がどうなのかは分からないものの、あくまで娯楽作品として作品を描くという点で、それは正解だったと個人的には思います。

難点を挙げるとするならば、基本的な時間軸の流れにおいては歴史に無かったことは書かない、つまり架空性は極力持ち込まないという形で描かれた弊害として、ラストがちょっとばかり不完全燃焼というか、物足りなさを覚えてしまうというところでしょう。
題材が題材であり、そこまでの緊張感ある展開があってのラストですから、もっとカタストロフィーが欲しかったです。
なので、そこで割と大きく点数を下げてしまう本作なのですけれど、それでも、結構面白く読ませてもらったのは確かなこと。
今年は新型コロナウイルス感染症問題もありましたし、興味のある方は読んでみても、損はしないと思います。



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「昨日の春で、君を待つ」

 2020-06-08
デビュー作である『夏へのトンネル、さよならの出口』がなかなかの良作だった八目迷の、長編2作目になる『昨日の春で、君を待つ』を読了。

ガガガ文庫お得意の青春小説路線に、時間ネタのSF要素と恋愛を絡めてくるのだから、基本的に、余程料理を失敗でもしない限り、つまらない作品にはなり得ないわけです。
そんな中でも前作は、それ等の要素をバランスよく使い、かつ、十代青少年のままならない感情を上手く描いていて、そこが実に面白いものになっていました。
とはいえ、先行諸作品の影響下から完全に抜け出して「八目迷ならでは」というものを作れているのかというところはまだ判断しかねるところもあったから、余計に次に書かれる第2作には注目しなければならない……と思っていたのに、4月に発売されていたことをすっかりスルーしていまっていました……。
コロナの影響で書店に行く機会が減って通販購入がメインになっていたことが原因の1つとしてあるのは否めないのですけれど、それより何より、八目迷という作家に関する私のアンテナが鈍っていたからそういうことになったので、これは大きな反省点です。

ともあれ、そういう期待感を持って読み始めた本作の、公式の粗筋は、以下の通り。

夕方6時のチャイム、“グリーンスリーブス”が流れ、カナエの意識は時間を跳躍する――。東京から、かつて住んでいた離島・袖島に家出してきた船見カナエは、時間を遡る現象“ロールバック”に巻き込まれる。乱れた時間のなかで、2年ぶりに再会したカナエの幼馴染である星名あかりが、彼にあるお願いをする。「お兄ちゃんを、救ってほしい」。ロールバックを利用し、数日前に亡くなったあかりの兄・彰人を救うために奔走するカナエ。しかし時間を遡っていくうちに、あかりの秘密が明らかになり……。甘くて苦い二人の春が始まる。


これを読んだ時に「また時間モノか」と思わなかったといえば嘘になります。
ですが、それでも読んでみない事には始まらないですから、とにもかくにもページを捲ってみたところ、基本的な構成要素は、第1作と同じですが、素材までが全て同じというわけでは無く、料理方法も変えているので、嬉しいことに、再生産品を読まされているという感覚はありませんでした。
ベースになる食堂としての味は同じだけれども、第1作と第2作では違う定食を頼んでみたという感じでしょうか。
そこまで大きな違いではなく、焼肉定食とショウガ焼き定食くらいの差異ですが、「こういうのが書きたいんだ」という作者の強い思いが感じられて、それはそれで、悪いものでは無いなと思えました。

時間モノに拘りがあるということだと、梶尾真治というビッグネームが既に存在していて、その高みにまで八目迷が至れるのかどうか、そもそもそれを目指しているのかどうかは、まだ分かりませんけれど。

第1作が「夏」で第2作が「春」ということは、「秋」と「冬」が空いていますね。
作者インタビューを読んだところ、時間ネタでまだ書きたいものがあるそうですから、とりあえず四季を全て書いて4部作とし、その後、別のタイプの作品を書いてみるというのでもいいかもしれません。
とはいえ、それで変な縛りを作者が感じてがんじがらめになり、創作が滞るようなことになるのは望まないので、そんなこちらの勝手な妄想は完全に無視して、書きたいものを書きたいように書いてほしいとも、思っているのですけれど。



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「やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい」 第2巻

 2020-06-06
結構評判が良さそうなのと、個人的に好きなタイプの作品なのではないかという匂いがしたので、先の土曜に「本館」の「雑記」で紹介した第1巻、そして今回こうして紹介する現時点での最新刊である第2巻と、立て続けに読んだのが、芝村裕吏の『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』。

グランドラ王との戦争での功績により、金貨姫フローリンから故郷タウシノの領主に任命されたガーディ。その役職は名ばかりながらも、ガーディの存在を警戒する姫の臣下も現れた。そんな中、ガーディは自身の存在価値を証明する必要から、亜人種や土着勢力が入り乱れるタウシノの平定を名乗り出る。だが、兵士も連れず傭兵も雇わずに味方は無理矢理ついてきたナロルヴァ一人だけ。誰もが無謀な絵空事だと考えた、たった二人の森州平定戦――それは、大軍師が冴え渡る軍略によりその名が歴史の表舞台に刻まれる燦然と輝く偉業の始まりだった――異端のヒロイック・ファンタジー。第2弾!


というのが、今回の粗筋。

本作はタイトル通り、ゆくゆくは大元帥と呼ばれることになるという少年を主人公にしているのですが、大きな特徴の1つとして、交際の世に歴史家が作中の時代を振り返るという体裁で書かれているということが挙げられます。
かつ、底抜けに「優しい」主人公が寡兵に苦労しながら戦術で大軍を破る……ということで、どこか懐かしい感じだなと思っていたのですけれど、今回、第2巻の後半辺りまで読んだところで気が付きました。
これは、田中芳樹の『銀河英雄伝説』でヤン・ウェンリーの活躍を読んでいる時の感覚に近いかもしれません。
もちろんあくまで個人的な感触の話であって、あるいは、いや、おそらく多くの人にとっては「そんなことも無いのではないか」と思う事かもしれないのですが。

表紙イラストを見て第一印象的に感じられるであろうものより、ずっと硬派な作品(もちろん、ラノベらしいコメディーシーンもきちんとありますが)であり、非常に気に入りました。
これは、いい作品です。

そんな『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』。
芝村裕吏のあとがきによれば、(作品の傾向上、それはそうだろうなと思いましたが)本作は事前に事前に膨大な量の年表を作ってから執筆されています。
主人公であるガーディの評伝としての年表というだけではなく、インタビュー記事を読んだ限りでは、主要な登場人物に関してはどうやら数代遡るレベルでの家系も考えられているらしく、徹底的に作りこんだうえで物語を書きだしているとらしいことがうかがえます。
疑似戦記的な作品を書こうというのであれば、そこまでやってこそという風にも思いますし、その拘りは好印象です。

あとは、せっかくそこまで準備された作品であるだけに、その年表を思う存分最後まで書いてもらいたいというところが問題ですよね。
面白いか面白くないかで言えば圧倒的に面白い作品なのですが、売れなければ続巻が出ないのが出版というものです。
特に最近の出版業界を取り巻く環境は厳しさを増していて、かつ、ラノベレーベルからの発売ということも踏まえれば、セールスの数字が悪ければ容赦なく打ち切りになることは確実なので、そこは、かなり気になります。



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