「盤上の夜」

 2018-06-16
2014年に文庫化された宮内悠介の『盤上の夜』.。
第33回日本SF大賞受賞であり、各所で様々な人から非常に大きな評価を受けてきている作品です。
どんなものなのか実際に読んでみたいという興味もあり結構前に購入していたものの、何となく長らく放置されて積読状態になっていたのですが、この度、そこから掘り出して読了することとなりました。

なお、これだけ(約4年)ものスパンが開いてしまったのは、非常に地味な装丁に創元SF文庫ということで、がっつりとハードな物語が来ることを想像してちょっと構えてしまっていたから。
それでも、さすがにそろそろ読まなければいけないかなと思って頁をめくってみたという次第なのですが……。
いや、これは読みやすいですし、収録されている6つの連作短編の全てが刺激的かつ面白くて、素晴らしいさ作品だと言えるのではないでしょうか。
日本SF大賞を受賞しただけでなく直木賞の候補作にもなったというのも納得の内容ですし、これがデビュー作だというのですから、これは恐ろしい。

収録先は順に、囲碁を題材にした表題作「盤上の夜」、チェッカーを題材にした「人間の王」、麻雀を題材にした「清められた卓」、将棋やチェスの原型と言われている古代インドのボードゲームのチャトランガを題材にした「象を飛ばした王子」、将棋を題材にした「千年の虚空」、第1作の登場人物も再登場して再び囲碁を、そして1945年8月6日に広島で行われた本因坊戦を題材にした「原爆の局」。
5つ目の「千年の虚空」までは、それぞれが独立した短編としてしっかりと楽しめるものになっていて、かつ、全体を通すと1つの物語、1つのテーマが繋がっている感じで、それが「原爆の局」で一気に集約する。
非常に上手い構造だと思います。
で、詳しい内容とかテーマの紹介とかは……
この文庫版の巻末解説で冲方丁がじっくりと濃密に繰り広げていて、それを読むのが一番だろうとも思えたので、この「雑記」では割愛いたします。

最後に改めてもう一度書きますが、本当に面白い作品でした。
これは、宮内悠介の他の作品も読んでみなければなりますまい。




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「SF飯2 辺境デルタ星域の食べ物紀行」

 2018-06-09
銅大の『SF飯2 辺境デルタ星域の食べ物紀行』を読了。
5月12日に紹介した作品がシリーズ化された2作目になりますね。

最近ライトノベルに多くなっている異世界食事もの。
エンタメ系ソフトカバー本に増えている居酒屋・小料理店モノ。
そういった世間の流れい乗って同じようなものをSFを題材にやっているのかと思いきや、中身は意外と真面目にバカSFをやっているというのが本作の特徴です。

真面目なバカSFとはどういうことか、と言われそうなのでもうちょっと具体的に書いておくと……
そうですね、SF者が気の置けない友人との会話の中で繰り出すSF的なギャクやネタを、細かい設定などを整えてガチガチに組み上げた世界観の中で存分に遊ばせる。
かつ、ネタを連発してギャグで固める吉本新喜劇なテイストにするのではなく、あくまで大真面目な顔で大真面目にネタを投入してくるというのが、私の考える、「真面目なバカSF」です。

その基準から言うと、本作は100点満点の真面目バカではないものの、真面目バカ度ではかなりの高得点かもしれません。
後は、おバカだけど変に説得力のある理論からなるバカSFガジェットなんかが出てきてくれれば、なお嬉しいのですが。

それはともあれ、今回は2作目ということで、単純に飯モノという感じではなくて、その部分はちょっとした彩の要素的なものになっています。
むしろ前作ではほとんど触れられていなかった〈太母〉と機械知性の話とか、主人公である若旦那の許嫁の話とか、そういうところに焦点が合わさっている印象です。
その為、辺境星域での食文化というネタは、確かにストーリーの軸になっていたりはするものの、そんなに表には出てきていない感じになっているかな、と。

前作の段階で〈太母〉のことについてほとんど言及がなかったのは単品の作品としては消化不良もいいところだったのですけれど、こうなってみると、それもプラス方向に働いているとも思えますね。
本作にはこの先の3作目、4作目に繋がっていそうなネタ振り、伏線も仕込まれているのですが、さて、この『SF飯』はどこまで続きますか。



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「トッカン 徴収ロワイヤル」

 2018-06-02
シリーズ4作目となる、高殿円の『トッカン 徴収ロワイヤル』は、実に6年振りに近いスパンが開いて発売された新作。

帯には「<トッカン>シリーズ初の短篇集!」との文句が踊っていて、内容的にも実際そんな感じになっています。
公式の粗筋は、以下の通り。

「税金滞納者に日々納税指導を行なう、国の取り立て屋・国税徴収官は、必要不可欠だけれど、一般には好かれにくい、厳し~い職業である。なかでも、とくに悪質な案件を扱うのが、特別国税徴収官(略してトッカン)だ。情け容赦のない取り立てで「京橋中央署の死に神」と怖れられるトッカン鏡の下、若手徴収官ぐー子が挑むのは、税金とその奥にひそむ人生の難問の数々――飲食店の巧妙に隠された滞納金捜しや、相続税が払えない老婦人の救済と公売ハウツー、税大研修での鬼畜ゼミ発表会や、ブランド品密売人を追っての対馬出張大捕物など……鬼上司・鏡によって磨かれたぐー子の徴収スキルが炸裂するとき、待ち受ける意外なラストとは? バラエティ豊かな徴収官たちの仕事ぶりを、鏡とぐー子がお伝えします。お金の勉強になりつつ、明日への希望が溢れてくる、No.1税金ミステリ『トッカン』シリーズ初の短篇集。全6篇収録。」


と、こんな感じになっているのですが……
6編のうち2つはかなり短めなので、実質的には「全4編+ショートエピソード×2」というくらいが正確なところなのではないかなと思います。

ただし、そのことと、作品の面白さとは別の問題。
個人的に今回は、税務大学校での研修エピソードが良かったかな。
若手国税職員のアレコレ的なことがユーモアをまじえて描かれていて、楽しめました。

なお、実態がこの通りなのかそれとも違うのかは、私は国税職員だったことがないので分かりません。
けれど、そこはきちんと取材をして書いているのでしょうし、その上で脚色をしているのだとしても、そこはエンターテインメントである以上、そこそこのアレンジはあっても止むを得ないので、問題はないでしょう。

久し振りのシリーズ新刊でしたが、ページを捲りだしてみると、やはりこの作品は面白い。
今回は全体的にぐー子の物語としての色味が今まで以上に強く、鏡特官の出番があまり無かったので、ここは是非、次回作で鏡無双を存分に楽しませてほしいものです。



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「ヒストリア」

 2018-05-26
昨年の8月に発売になった、池上永一の『ヒストリア』は、1994年に『バガージマスパナス わが島のはなし』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビューし、キャリアが23年になる作者が書いた前作の『黙示録』から4年振りになる新作です。

池上永一といえば、ごく1部の作品を除いて、自身の出身である沖縄を舞台にした作品を描き続けてきた作家です。
が、この『ヒストリア』は、装丁に描かれているのが、いきなりチェ・ゲバラ。
昨年はオダギリ・ジョー主演の映画『エルネスト』も公開されていましたが、あの映画にも出てきていた、キューバ革命の立役者の1人である、あのチェ・ゲバラです。

ということは、つまりこれは彼のことを描いているのかな、と思ってしまうと、それは早合点というもの。
これは、これまで沖縄戦については触れずに来ていた池上永一が、構想20年を経て満を持して描いた、大戦末期の沖縄と終戦、駐留している米軍に用地を奪われた人々のボリビアへの移民といった題材を扱った物語です。

とはいえ、そこはやはり池上永一作品なので、本作の主人公は非常にバイタリティーの溢れる女性、知花煉。
沖縄戦における米軍による激しい攻撃で自身の家族を含む故郷の村全てを失い、マブイを落としてしまった彼女が辿る、激動の人生を、沖縄が日本に返還された1972年まで描く年代記、一大絵巻であり、弟カルロスと兄セーザルからなる日系3世のイノウエ兄弟、チョリータのカルメン、沖縄のエリートであった安里や伊計、そしてチェ・ゲバラ等々、魅力的なキャラクターが数多く登場して波乱万丈の物語を紡いでいきます。
池上永一の小説はとかく(いい意味での)暴走が付きものなわけですが、本作に関しては、そこまで大きく暴走をしていたという読後感はありません。
冷静になって振り返れば、あちこちで暴走をしていたと気が付くのですけれど、実際にページを捲っている時には、そういう意識はありませんでした。
これは池上永一がキャリアを重ねて行く過程で技術的に得たものなどが反映された結果なのかもしれませんが、単純に、書き手の年齢が上がると、若い頃のように後先考えない暴走までは、やれなくなってくるということなのかもしれません。

ともあれ、チェ・ゲバラの没後50年、沖縄の本土復帰45年という2017年に発売された本作。
池上永一のこれまでの作家活動の総決算であり、また同時に、これからを占う試金石にもなった、非常に意味の深い作品になったのではないかと思われます。
ちなみに、当初の構想では、この「煉の物語」は2015年まで続く予定だったそうなのですが、沖縄復帰に伴う、結果的にラストシーンになった部分を書いた時点で、ああ、これはここで終わるべきだ、作品としてはここで完結した、と感じて、こういう形での完成になったのだそう。
彼がそう判断した理由は、実際にこれを読めば、多分誰もが納得できる、理解できると思いますが、しかしこれは、かなりショッキングなので、そこの覚悟はしておいた方がいい、ということは書いておきます。



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「黙視論」

 2018-05-19
以前に紹介した2014年2月発表の『少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語』の発表以来、執筆依頼が増えているらしい一肇の、昨年5月に出した『黙視論』を読みました。

仕事の依頼が増えているとはいっても、本人はかなり遅筆の人のよう。
また、本作も雑誌『文芸カドカワ』で連載された物を何度も推敲し直してからようやく単行本になったものらしく(ネットで色々な人の感想をざっと眺めた限りでは、そもそもの設定も、ストーリー展開も、連載時とは全くの別モノになっているということらしいです)、そういう人であれば、新作の刊行ペースが遅いのも、これは致し方ないと言うべきでしょう。

とにかくハイペースに次々と新作を投入してくるスタイルの人もいれば、年単位で間隔が開いて新作を発表するスタイルの人もいる。
これは、どちらが優れているとかいないとか、ペースの速い人は粗製乱造だとか、遅い人は駄目だとか、そういうことではなくて、人それぞれ、自分のテンポとペースがあるという、そんな当たり前で単純な事実というだけの話です。
まぁ、とはいえ、自分が注目している作家には、それなりの速さのペースで新作を発表して行ってほしいというのも、本音としては、ありますけど……。
それで作品のクオリティーが変に落ちてしまうようでは、本末転倒ですし。

で、前置きが長くなってしまいましたが、『黙視論』です。
極力他人との会話をしないで生活するということを自分へ課している女子高生、未尽が、本作の主人公。
ある日、校内で落し物のスマホを拾った彼女は、その持ち主から送られてくるメールに応えている内に、相手が文化祭の日に彼女の通う高校で爆弾テロを実行しようと企んでいるテロリストであること、そして、そのスマホが起爆装置であることを知ります。
九童環と名乗るそのテロリストと未尽は、メールを交わしている内に、お互いの正体をどちらが先に当てるのかというゲーム(未尽が勝てば環はテロ行為を止める、逆に環が勝てば未尽は起爆装置であるスマホを返却する)をすることになってしまい、そして……というのが、本作の導入部。

さて、実は本作、最終的に、誰が九童環であったのかという答えを明示していません。
それを不親切とか未完成とか駄作とか受け取るのは読者それぞれの自由ですが、本作の場合は、これは正しい選択のように感じました。
明快な答えが提示されない分、どことなくすっきりしない感の残る読後ですが、「こういうことなのかな」とか「多分、九童環の正体はあの人だろうな」というのは無いわけではありません。
それに、「言葉」というもの、人と会話をする、コミュニケートをとることの意味、その重要性といったものを掘り下げている物語は、なかなか思わせられるところが多くて、楽しめましたしね。

これは、何回か読み返さないと、いけない作品ですね。
大手を振って誰にでも薦められるというわけでは無い、やや上級者向けかもしれない本作ですが、基本、エンターテインメントの軸はしっかりとしていますし、ここを読んで興味を持ったという人は、是非。



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